『ビッグ・アイズ』ティム・バートン監督 単独インタビュー
目だけで演技する“禅演技”俳優が好き!
取材・文:細木信宏/Nobuhiro Hosoki 写真:Yoshiko Yoda
1950年代から1960年代にかけて哀愁を漂わせる大きな瞳の子供を描いた「BIG EYES」シリーズは世界中で注目され、作者ウォルター・キーン(クリストフ・ヴァルツ)は美術界の寵児(ちょうじ)としてもてはやされるが、なんとその絵画を描いていたのはウォルターの内気な妻マーガレット(エイミー・アダムス)だった。初めは夫の言うことに従っていた彼女だが、自身の感情を投影した「BIG EYES」シリーズを守るために真実を公表する決意をし、ウォルターと法廷で争っていく。そんな複雑な夫婦関係を描いたティム・バートン監督が語った。
俳優は目で選ぶ
Q:マーガレットは“目は心の窓”だと信じています。映画作家のあなたもそのように感じるのでしょうか?
僕も全くその通りだと思う。僕は俳優をキャスティングする際、彼らの目が好きだからという理由で選ぶことがある。ジョニー・デップ、ウィノナ・ライダーなどはサイレント映画にも適した目をしていた。僕がタッグを組んできた俳優たちはその目に神秘を感じさせ、セリフを発せずとも心情を伝えることができた。僕自身はそんな演技を“禅演技”と呼んでいる(笑)。そして、エイミー(・アダムス)もそんな“禅演技”をしてくれた。セリフも発せずに感情の起伏を表現していて本当に素晴らしかった。
Q:内気なマーガレットはある意味、ディズニーで仕事していた頃のあなたに似ているのではないでしょうか?
ディズニーでアニメーターをしていた頃の僕は、全くしゃべらず、その点でもマーガレットと共通点を感じる。それに彼女がシャイだったからこそ、彼女が自身の仕事を通して人々とコミュニケーションを図ろうとすることも理解できた。
Q:脚本家スコット・アレクサンダーとラリー・カラゼウスキーとは『エド・ウッド』でもタッグを組んでいますね。
二人は実在する人の信じられない話を探してくることにたけていて、彼らはその才能によってキャリアを成功させてきた。だから、彼らからこの脚本を渡されたときは、まさに彼らの作風のど真ん中の題材だと思った。それが映画でも表現されていると思うし、特に『エド・ウッド』と『ビッグ・アイズ』は僕にとってもパーソナルな作品だ。
ウォルターはアート界の壁を突き破った
Q:当時一大ブームを巻き起こした「BIG EYES」シリーズについてどう思われますか?
「BIG EYES」シリーズはポップカルチャーだったと思う。僕自身もこの時代を生き、今でもその頃の作品が目に焼き付いている。多くの人はポップカルチャーの作風を嫌っていたが、その一方で人気があり、当時の文化としてしっかり根付いていた。確かにポップカルチャーは人々に影響をもたらし、仮に嫌いな人でも、そのパワーは感じていたはずだ。
Q:ウォルターは「BIG EYES」シリーズをスーパーなどでも売って一大ビジネスを築きました。このことは芸術作品の価値を下げた一方で、人々が芸術作品を目にする機会を増やすことにもなりましたね。
そうなんだ。芸術作品の商業化を嫌う人々も居るが、多くの人々はそんな芸術作品を買うことさえできない。ウォルターのビジネス形態は芸術とはほど遠いもので浅はかでもあるが、彼がアート界の壁を突き破って人々が芸術作品をより入手しやすくしたことは間違いないね。
Q:ウォルターのしたことは許し難いものですが、彼はある意味マーガレットの作品のスポークスマンでもあったのではないでしょうか?
確かにそうだ。彼をどんなに人々がひどいと思っても、彼はマーガレットの作品に対して何かをすることができた。マーガレット自身は本当に静かな人柄で、彼が居なかったら、誰も彼女の作品を目にすることがなかったかもしれない。だから彼が彼女の作品を世に送り出したことに関しては、僕も彼に真の才能を感じる。
複雑な夫婦関係を体現した名優たち
Q:実際のウォルターとマーガレットの印象について教えてください。
ウォルターは非常にトリッキーで、ある意味、社会病質者のようでその場の状況ごとに虚勢も張っているため、彼の歴史に関しては定かではないことが多い。一方、マーガレットは本当に素晴らしい人物だ。マーガレットを演じたエイミーがマーガレットの言葉よりも彼女の行動から多くを学んだと語っているように、彼女はプライベートを大切にし、シャイで、慣れないと彼女との間に距離を感じることもあるが、内面はインテリで、毒のあるユーモアのセンスも持ち合わせている。僕がこれまで会ったことのない女性だ。
Q:演じたクリストフ・ヴァルツとエイミー・アダムスについてはいかがですか?
クリストフにはさまざまな顔があり、チャーミングで(ウォルターのように)素晴らしいセールスマン的でもあり、またそれと同時に脅威、怒り、いじめっ子の要素も持っている。ウォルターはどこか悲劇的でもあるため、それらの要素を一つのキャラクターとして描くことは大変だと思ったが、クリストフはそんなさまざまな顔を持つこのキャラクターのつかみどころを理解していた。マーガレットは内向的なキャラクターであるため、エイミーは演じるのが難しかったと思う。でも彼女は立っているだけで、何もせずに苦悩や葛藤をうまく表現してくれた。
マーガレットは犠牲者ではない
Q:マーガレットはウォルターとの裁判後、彼についてどう語っているのですか?
マーガレットについて興味深いのは、こんな状況を経ても彼女は決して自分が犠牲者だとは思っていないことだ。彼女は、常に自分もウォルターと共謀してうそをついていたという意識を持っていて(実際にはウォルターに従っていただけ)、裁判沙汰になったときでさえもウォルターに復讐(ふくしゅう)やひどいことをしようとは考えず、真実を公表したかっただけなんだ。だから彼女は決して犠牲者ではなく、物静かだが強い人だ。
Q:マーガレットがハワイに移り、作風が変わったことについてどう思われますか?
ウォルターと住んでいたときは、涙目のもの、肩越しに見つめるようなものが多く、その当時の彼女の状況を反映した作風だった。だが、彼女がウォルターの元を離れてハワイに移ってからは、より作風が明るくなってユーモアセンスのある作品もあり、彼女が僕にくれた作品もそんなユーモアのある奇想天外なもの。彼女は超現実主義な画家だと感じている。
Q:本作では歌手ラナ・デル・レイの楽曲を使用していますね。
ラナの楽曲は本作の作風やマーガレットの絵画のタッチに適していた。彼女の声は永々で、美しく、極めて優雅だ。劇中ではスーパーマーケットで買い物をしていたマーガレットが(自身の作品が商品化されていることを知り)変わり始める際にラナの曲が流れる。それでマーガレットが言葉を発せずとも、彼女にターニングポイントが訪れたことに観客は気付かされるんだ。
女性がなかなか主張できない時代に、言葉巧みに人をだまし続けてきたウォルターのカリスマ性をクリストフは見事に体現し、瞳を通じて自身の心情を示したマーガレットをエイミーは克明に捉えている。そして、そんな複雑な夫婦関係をアーティストの鋭い視点を通して鮮明に描き切ったバートン監督。『ビッグ・アイズ』は彼の演出力をまざまざと見せつけた渾身(こんしん)の作品となっている。
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映画『ビッグ・アイズ』は公開中