『百日紅~Miss HOKUSAI~』杏 単独インタビュー
アニメーションにしか描けない風景や表現がある
取材・文:永野寿彦 写真:高野広美
江戸風俗研究家で文筆家、そして漫画家でもある杉浦日向子の代表作として知られる「百日紅」を、映画『河童のクゥと夏休み』『カラフル』の原恵一監督が、長編アニメーション化。絵師・葛飾北斎とその娘・お栄を軸に、江戸に生きる人々の姿を生き生きと描いていく。杉浦作品のファンでもあり、初めて長編アニメーションの声優に挑んだ杏が、ヒロインであるお栄の生き方、作品への思いを語った。
大好きな杉浦日向子作品への参加
Q:杉浦日向子さんの大ファンと伺いましたが、オファーがあったとき、どう思われましたか?
本職の声優の方もいらっしゃるので、あまり言うのはおこがましいと思っていたのですが、アニメーションをはじめ、声のお仕事にはすごく興味があって、憧れを抱いていたんです。それが以前から大好きだった杉浦さんの作品の映画化ということもあったので、とてもうれしかったです。連作短編で明確なオチがなく、すとんと落としてそれで終わるようなものもあったり。そういう空気感みたいなものが杉浦さんの作品ではすごく大切な部分だと思っていたのですが、台本を読んだときにそういう余韻が残るようなところまで、すごく大事にされているなと思いました。
Q:主人公のお栄を演じる上で大切にしたことは何ですか?
アニメーションの仕事は今回が初めてだったので、自分からこうしようというのはなかったです。何が正解なのかという理想像をイメージすることがとても難しかったので、最初から監督に「NGがあったら何百回でもやります」「編集が終わった後でもこっちの方が良いと思ったら何回でも呼んでください」と話していました。お栄さんは不器用だけど真っすぐで、ちょっと素朴な若い女性なのかなと想像していたんですが、監督からはそのイメージに加えて、低く低くと指示されていました。ドスを利かせて、ゆっくりとはっきりという。あの時代には珍しい、自分の仕事に誇りを持って、クリエイティブな分野で独り立ちしている女性の強さを表現したかったんだと思います。
着物で表現したお栄の声
Q:録音には着物姿で参加されたそうですね。
今までやったことない声優の仕事で、アプローチの仕方がわからなかったんです。これまで映画やドラマの仕事でアフレコすることはあったのですが、撮影から日数がたっていることが多くて、衣装やメイクのない状態でマイクに立つと、撮影時と同じ声が出なくて苦労することがあったんです。なので、今回はあえて着物を着て、お栄の姿に少しでも近づければ、そこから生まれる音もあるかもしれないと。効果があったかどうかはわかりませんけど、自分の中ではお栄に近づけたかなと思っています。
Q:杏さんから見て、お栄さんという人物の魅力は?
女性にとっていろいろなことがまだまだ厳しいあの時代に、しっかりと自分の筆の力を信じて自分の足で立っていたというところがすごいなと。しかも、絵の実力まで伴っているという。そこもまた憧れてしまうところですね。
Q:浮世絵はお好きなんですか?
好きですね。アールヌーボーの時代になってくると写真が出てきて、写真を基に絵を描くスタイルの人も増えてくるんですけど、あの時代はカメラもないし、写実性は自分の目しか頼れるものがない。もっというなら、行ったことのない場所の風景だって描いてみせるような独創性があった。歌川国芳とか歌川芳艶とかオリジナリティーの強い作家もどんどん出てきますし。自分のオリジナリティーとクリエイティビティー、そして観察眼が完璧に備わっていないといけない。浮世絵はデフォルメでもあるので特徴をどう生かして自分の画風にするかというのも大事。奥が深い世界だと思います。
Q:お栄さんが描く絵も魅力的ですよね。
西洋画を取り入れたり、革新的なものに飛び込んで自分のものにしたというところがカッコイイと思います。浮世絵は背景を簡略化してデフォルメするのも大きな特徴の一つだと思うんですけど、彼女の絵の中には背景の木から空までちゃんと描写していて、劇中のセリフにあるように、「全部描けると思って」それを実行している気がするんです。そこに彼女自身の力強さや筆の力を感じますね。
あるセリフに杏が「迷子」に!?
Q:そんな彼女を、声で表現するのは難しくはなかったですか?
難しかったですね。「オレ」という言葉遣いを含め、どこまで江戸弁っぽく演じたらいいのかと悩みました。以前、立川談春さんとお話しする機会があったのですが、そのときに「落語の江戸弁も実際の江戸弁とは違うかもしれない」とおっしゃっていました。ニュアンスは、原作を描かれた杉浦さんでないとわからないですから。原監督は「あまり凝り過ぎるよりは耳触りの良い方向を選んでいきたい」とおっしゃっていました。
Q:特に苦労したセリフはありますか。
息だけで表現しなくてはいけない感情や、音で見せる部分は特に難しかったです。例えば「おめえはまだまだ半人前だなあ」と言われて、お栄が「う~」とうなるところ。原作の漫画にもあるんですけど、活字のセリフではなく杉浦さんの手書きで書かれているところだったんです。どういうふうに「う~」って言ったらいいんだと監督と何度もやりとりして。わたしもずいぶん「迷子」になりながら演じました(笑)。
Q:アニメーションの声の仕事に携わったことで感じられたことはありましたか?
声だけの表現の難しさを改めて実感しましたね。でも、それ以上にいろいろな可能性がアニメーションにはあるなと思いました。アニメーションにしか描けない風景や表現があると思うんです。今回の作品でいうと、大きな両国橋から八百八町に広がる江戸の風景とか、川のきれいな姿だったり。実写ではなかなか難しいものが筆一本で描くことができる。もちろん、そこには圧倒的な筆の力とか色の力が必要になってくると思うんですけど。実写化が難しい世界でもアニメーションなら可能になるんだと思いました。もっともっと関わらせてほしいと思いましたし、杉浦作品や浮世絵が好きという自分の趣味・嗜好(しこう)からいってもとてもうれしい作品だったので、参加させていただいたことは自分にとって大きいことでした。
大切なものを全身で感じてほしい
Q:完成した作品をご覧になってどう感じましたか?
録音のときはまだスケッチのような線画だけのところもありましたから、すごく感動しました。見たことのない江戸を見せてくれる作品だと思います。江戸ってわたしたち日本人にとっては、知っているけど知らない、知らないけど知っているという微妙な距離にあります。そんな中で、今手を伸ばさなければ失ってしまうものがたくさんあると思うんです。そのことを全身で感じていただけるのが、この作品だと思っています。劇場の大きな画面と大きな音で、ぜひそれを感じていただきたい。その上で、杉浦さんの本も手に取って、読んでいただけたらうれしいです。
ドラマ撮影の合間を縫ってのハードなスケジュールの中でのインタビューにもかかわらず、一つ一つ言葉を大切にしながら質問に答える杏。自分が好きな杉浦作品、浮世絵の話になるとそこにアツさが加わってくる。その姿からはこの作品に懸けた情熱がひしひしと感じられた。
(C) 2014-2015 杉浦日向子・MS.HS/「百日紅」製作委員会
映画『百日紅~Miss HOKUSAI~』は5月9日より全国公開