『海難1890』内野聖陽&忽那汐里 単独インタビュー
忽那が内野の英語の先生!?
取材・文:高山亜紀 写真:奥山智明
トルコと日本の信頼関係が生まれたのは、125年前に起きたエルトゥールル号海難事故がきっかけだった。そこから始まった友情はやがて日本人すら見捨てそうになった邦人の命をトルコ人が救う「テヘラン邦人救出劇」へとつながっていく。トルコ・日本の友好125周年の大プロジェクト『海難1890』で、座礁したエルトゥールル号の船員たちを救った医師・田村を演じた内野聖陽と、彼の助手・ハルとテヘラン在留の春海の二役に挑戦した忽那汐里が撮影を振り返った。
内野聖陽が感じた縁
Q:トルコと日本に救助や救出がきっかけになった深い関係があったと知り、衝撃を受けたのですが、お二人はこの史実を知っていましたか?
内野聖陽(以下、内野):エルトゥールル号の話は少しだけ知っていました。テレビ番組で何気なく見ていたんです。それからしばらくして映画のお話をいだいたのがちょうど僕の誕生日だったので、何かご縁があるのかなと思いました。でも、エルトゥールル号の話がトルコ航空機の日本人救出劇につながっているとは知らなかったので、この映画で初めて知りました。
忽那汐里(以下、忽那):わたしはどちらの話も全く知りませんでした。トルコの方が親日家だとはよく聞きますが、ちょっとした親交関係ならまだしも、ここまでの絆といってもいい関係が、日本からあんなに遠い異国で築かれている。何か理由があるはずだとは思いましたが、その原点がここにあったんだと知り、本当に驚きました。
Q:トルコでは教科書に載っているそうですね。
内野:小学5年生の教科書に載っているらしいです。
忽那:船が座礁した大島に慰霊碑があるのですが、そこに行くには、あまり交通手段がない。それでも撮影がお休みの日を利用して、トルコのキャストやスタッフの方は続々とタクシーで出かけていました。しかも、帰りのタクシーがつかまえられずうろうろしているところを、地元の方が見つけてホテルまで送り届けてくださって。そこでもまた親交が生まれていました。
当時の人たちの思いを大切に
Q:時代が異なる人々を演じることは、現代と比べて違うものですか?
忽那:時代背景が違いますから、現代のように女性が主張をはっきりできる環境ではないですし、制限があったと思います。理想の女性の在り方も、当時は男性目線ですよね。陰からそっと見守るような。それは現代とは全く違う感覚だと思います。
内野:ハルも田村先生もフィクションの存在ではあるのですが、僕の場合は医者だったので、明治時代に大島にいらしたお医者さんの手記が拠り所になりました。当時のお医者さんたちがトルコ政府に送った手記がそのまま残っているんです。トルコ側から「船員を治す際にかかった治療費を請求してください」と言われ、実際に3人いたお医者さんが「そういうものは一切、いりません。困った人がいたからやっただけで、お金目当てではありません。お金は船員の遺族に使ってください」と書いていた。当時のお医者さんの心意気や、お金ではなく気持ちで動いた人たち。それを僕は大事に演じました。「すごい人たちがいたんだ」と感銘を受けて、取り込みました。
Q:フィクションとはいえ、モデルの方が大いに参考になったんですね。
内野:外見は遊び心です。あんなに長い羽織は当時きっとなかったと思います。田中光敏監督の発案で、風の強い大島で岸壁に立ったときに羽織がバタバタとマントのようにはためいて、遠くから見ても田村先生だとわかる画作りにしたいという思いがあったんです。幕末から明治に入っていますから、新しいものを取り込んでいる感じを出したいと、上が着物で下はズボンらしきものをはいている勝海舟の写真も見せてもらいました。「これは面白い」という話になり、下駄を履くことになり、武士道精神の持ち主なら、帯をぐっと締めて……とルックスはそんなふうに決まっていきました。一風、変わったお医者さん。そのフィクションのウソをいかに面白く届けるか、丁寧にやっていったつもりです。フィクションであっても、観ている人にはリアリティーを感じてほしい。実際には存在しなくても、「なんか、いそうだよね」という感じは出したかったんです。
ネイティブの忽那汐里を悩ませた英語のセリフの難しさ
Q:撮影現場では、英語でコミュニケーションを取っていたんですか?
内野:特に共演が多かったケナン(・エジェ)くんとは基本的に英語でした。僕は海外で生活したことはないので、片言の英語。できるというレベルではありません。忽那さんは14歳まで海外にいらしたので、堪能どころではないです。
Q:話すのとセリフとでは、違う感覚なのでしょうね。
内野:僕の場合は、口下手で恩を着せない奥ゆかしい日本人である村の人たちの、ある意味代弁者のような役回りでもありました。漁村の人のよさを解説者にならず、嫌味なく、さりげなく伝えたいと常に思っていたので、あまり英語でしゃべっていたという感覚はないんです。特に崖の上で話す場面はすごく大事で、村人の良心や真心を魅力的に際立たせることを大切にしたので、結果的に英語がどうこうという意識はなくなりました。
Q:忽那さんから見て、内野さんの英語はいかがでしたか?
忽那:内野さんはニュートラルできれいなアメリカ英語ですから、通じやすいと思います。わたしはオーストラリア英語でなまっているので。
Q:では逆に英語のセリフは大変だったのでは?
忽那:トルコに行く前に東京でレッスンしたんです。日本で暮らすようになってから、英語で話す相手はアメリカ人ばかりで、オーストラリア人はほとんどいません。だからわたしの英語もだいぶニュートラルになってきてはいるのですが、それでも難しいです。オーストラリアっぽくなってしまう発音はいくつか決まっているので、そこさえ気を付ければいいとはいえ大変でした。
内野:それって俺たちが大阪弁を話すようなものだもんね。
忽那:そうなんです。ただし日本語って、音の抑揚やアクセントが違うから、音程の調整で済むと思うのですが、英語は発声から違う。だから、口の中につばが溜まるような感じになっちゃうんですよね。舌の感じから違いますから(笑)。
内野:水を得た魚のようにセリフを言っているのかと思っていたよ。
忽那:普段、話しているときとは全然違いますよ。英語を直すのはすごく難しい。次の発音をする前に準備をしなきゃいけないんです。舌の調整、口の開き方、全部です。
Q:お二人はどんなふうに信頼関係を築いていったのですか?
内野:どうだったかな。言葉がなくても、いつの間にか関係性はできていった気がします。そういえば夜は小澤(征悦)くんを含めて一緒に飲んだりしたよね。
忽那:前半の頃はよく飲みましたね。といっても撮影期間中ですから、そんなには飲んでないですけど(笑)。
内野:お酒が大好きだということが判明しました。彼女は強いですよ。
Q:どんな話をしていたんですか?
内野:「俺の発音、RとL、イケてる?」「大丈夫です」と言われて、ホッとしたりしていました(笑)。
カリスマ性のある医師・田村を熱く演じた内野と、時空を超えた同一人物のようにも感じられるハルと春海の二役をさらりと演じ分けた忽那。それぞれの思いで取り組んだ二人の丁寧で繊細な役づくりの話は聞いていて、感心することばかり。まさに日本代表! 大プロジェクトにふさわしい役者の鑑というべき二人だった。
映画『海難1890』は12月5日より全国公開