『だれかの木琴』常盤貴子&池松壮亮 単独インタビュー
これまでの経験を捨てて臨むような撮影現場
取材・文:天本伸一郎 写真:中村嘉昭
何気ないメールのやりとりをきっかけに、平凡な主婦が若い美容師の男にのめりこんでいくサスペンス『だれかの木琴』。80歳を超える名匠・東陽一監督が、直木賞作家・井上荒野の同名小説を映画化した本作は、主婦の小夜子に常盤貴子、美容師の海斗に池松壮亮がふんしている。ストーカーにまつわる話と見られがちだが、ありきたりな結末には向かわず、観る人がさまざまな見方ができるような一筋縄ではいかない本作について、東監督作品への出演を熱望していたという常盤と池松が、撮影現場の模様や作品の魅力を語った。
ストーカー化する主婦の言動はむしろ冷静
Q:常盤さんが演じた小夜子は、あまり感情を表に出さないものの、引っ越したばかりの地域での孤独ゆえか、美容師からの営業メールをきっかけに、彼の家を訪ねたり行動がエスカレートしていきますが、どのような人物と捉えて演じましたか。
常盤貴子(以下、常盤):誰にでも起こりうるというか、誰でもそうなりうるのかなと。普段接している人が、小夜子のような思考を持っているとしても、表面的には誰にもわからないし。それに、意外と人はそれほど感情を見せないですよね。大人になればなるほど感情を抑えようとする方が強い。だから、これまでに出演した映画やドラマでは感情を出していかなければいけない作業が多かったのですが、今回はむしろ抑えていくという、普段の生活のようにコントロールをして演じていたかもしれません。
Q:池松さんの演じた海斗は、初来店の客に事務的な営業メールを送っただけのつもりが、メール相手の小夜子からプライベートまで侵食されてしまうものの、あからさまな嫌悪感を見せたりしませんが、身近な人物として演じることができましたか。
池松壮亮(以下、池松):2016年を生きている若者としては、きわめてまっとうだし、違和感はなかったと思います。あくまで、ただただ、そこにいる人として演じたつもりでした。
Q:お二人とも東監督の作品がお好きだったそうですね。
池松:僕は東さんの映画と10代最後に衝撃的な出会いをしまして、いつかこの方と会わねばと思っていたので、東監督の作品だったら何であっても出たと思います。
常盤:(笑)。わたしも、東監督の映画を若いころからずっと拝見していて本当に大好きだったので、その中に自分がいられると考えただけでワクワクしましたね。
理屈を超えた東監督の演出に圧倒される
Q:常盤さんは、東監督から「役づくりをしてこないで」と言われてうれしかったそうですが、撮影現場ではどのような演出を受けたのでしょうか。
常盤:ちょうどわたし自身が興味を持っていた、小津安二郎さんの映画のような芝居にチャレンジできる場というか。それは、今まで自分が築いてきた経験を捨てて臨むようなことでもあったので怖さもありましたが、信用できる監督だからこそ飛び込んでみたいと。実際の現場では、例えばクランクインしてすぐの踏切を渡るカットで、いつもの癖で脚本上の前のシーンから逆算し、慌てて家を出てきた後だからと早歩きで渡ろうとしたら、監督が「ゆっくり歩いてください」と。それで、「前後のシーンのつながりが……」と思ったのですが、「あ、これが東陽一監督なんだな」とハッとさせられて。前のシーンがどうだろうと、そういうことではないところで何かが起ころうとしているのをすごく感じましたし、自分の計算ではないものなんだということを知りました。
池松:僕は、言ってしまえば楽してましたね。常盤さんがおっしゃったように、シーンのつながりを考えたり準備をしたりと、自分で責任をとらなきゃいけない現場もあるわけですが今回はそうではないので、ある意味楽でしたが、勇気もいるんです。最初は大丈夫かなと、つい癖で考えちゃったりして、ちょっと不安でしたけど、それもすぐに消えて。やっぱり東監督の思考があまりにも面白かったので、ついていってみようと思わされました。
常盤:言葉でこうしてくださいとかはほとんどなくて、俳優に任せているというか。監督もご自身のイマジネーションを信じて撮っているんでしょうね。
池松:そうですね。だからもう俳優への演出云々じゃないところで映画にする自信があるんじゃないかと。
Q:地味で平凡そうだった主婦が、次第に美しくなっていく変化も見事でしたが、どのような演出があったのでしょうか。
常盤:何もないです。多分それは作品の流れにより、脳内でそういうふうに思ってくださったということだと思うので、すごくうれしいです。完全に観る方々、お客さんに託しているので。もう本当にそれは、観る方次第でどうにでも変わることの最たるものなのかもしれないですね。ありがたい(笑)。
池松、「強くてカッコいい」常盤にほれぼれ
Q:役柄的に撮影現場ではあまり話をしなかったそうですが、お互いどのような印象を持たれていたのでしょう。
常盤:池松さんはすごく自由な方だなと。いろいろな現場でいろいろな経験をされてきているし、他の同世代の俳優さんと比べると、ちょっと異質なところがあるじゃないですか。だから、ちゃんとこだわりをもってやっていらっしゃるんだろうなとは思うんですけど、決して凝り固まっているようなところはなくて。今回は東監督だったからというのもあると思いますが、割とニュートラルな状態で現場に来られて、「どうにでも料理してください」というような状態だったのは、すごく新鮮でしたね。それで、あの雰囲気を作れるってすごいなあと思いました。
池松:僕は、常盤さんは本当に素晴らしい女優さんだなって。
常盤:いいよーもう(笑)。
池松:ずっと見ていた方ですし、僕なんかが言うのはおこがましいですけど、僕は今回、常盤さんとの撮影は3~4日ぐらいしかご一緒できなかったのですが、いろんなものを見てきた方なんだろうなあと思いましたし、自分の足で立って歩いている感じというか、世界と対峙している感じが、役をまとっていたからかもしれないけどすごく孤独に見えて、ものすごく強くてカッコよくも見えたんです。僕もこうなりたいなと思いました。
井上陽水の「最後のニュース」が重要
Q:あからさまな芝居や演出を抑えていて、いい意味でどこに向かうのかがわからずに引き込まれていく作品になっていると思います。完成品を観た印象は?
常盤:とんでもない映画だなと思いました。とってもゆったりとした時間が流れていて、最近の日本映画とは全然違うタイプの作品ですが、こういう日本映画を多くの人が観にきてくださって楽しんでくれるような日本になったらいいなあと思うし、わたし個人は大好物な映画でした。
池松:面白い映像表現をされるなあっていうのはわかっていたつもりですが、理屈でなく感覚に訴えてくるような作品を久しく観ていなかったので、自分自身もハッとさせられました。
Q:ラストに向かう展開もストーカーの行き着く先を描くようなありきたりな話ではないですし、観る人によって全く解釈が違う結末になっていると思いますが、どのように感じましたか。
常盤:わたしは非常に怖いことだと思いました。表面的には何も変わらないからこそ怖くて、人の脳内の怖さを思い知った感じがします。最後に流れる井上陽水さんの「最後のニュース」が本当に象徴的で、この話は今、世界で起きている一つのことの、たった二人をフィーチャーしたことだけれど、そこから広がっていくものを考えると、現代的な怖さを感じました。人の脳内はわからないだけに、気をつけないとねって(笑)。
池松:登場人物たちの人生が続いていくっていう意味では、もちろん怖いことですけど、何か僕は東さんに、「いろいろあるけど大丈夫」って言われた気がして、ホッとしたんですよね。僕自身が何かに包まれたみたいな気分になって。それはラストに流れる「最後のニュース」と一緒で、いろいろあるけどおやすみって言われたような気がして、何だかすごく気分が軽くなりました。
「連ドラの女王」とも称されて走り続けていた20代を経て、徐々に好きなものが見えてきたという常盤は40代になった今、好きな作品を大事に作ることができ、それが次につながっていることを実感できる現在を、心から楽しんでいるのがうかがえた。また、出演作が相次ぎ走り続けている最中とも言える池松も、以前に東監督と会う機会があったことが本作につながっており、大きな手応えを得ているように感じた。観る人それぞれが異なる感情を揺さぶられる本作は、現代的な題材と劇中に漂うエロスなども相まって、80歳を超えた監督の作品とは思えない艶があり、東監督の現役ぶりも頼もしい。
映画『だれかの木琴』は9月10日より全国公開