『キセキの葉書』鈴木紗理奈 単独インタビュー
40歳目前でこの役と出会えたことがキセキ
取材・文:天本伸一郎 写真:中村嘉昭
阪神・淡路大震災から半年後の兵庫県西宮市を舞台に、脳性麻痺の幼い娘の介護に追われる中、認知症とうつ病を併発した母親に13年間で5,000枚に及ぶ葉書を送り続けることで奇跡を起こした女性の実話を映画化。いかなる絶望的な状況下にあっても明るさを忘れないヒロインをはつらつと演じ、マドリード国際映画祭で最優秀外国映画主演女優賞を受賞した鈴木紗理奈が、40歳になる前に出会うことのできた初主演映画への思いを語った。
主人公の大変さを伝えるように演じたらダメだと思った
Q:この映画は、遠く離れて暮らす母親が認知症とうつ病を併発した時、脳性麻痺の娘を抱えているために駆けつけることができなかった作家・脇谷みどりさんの実話を基にしていますが、原作の「希望のスイッチは、くすっ」を読んだ際の印象は?
原作は、脇谷さんが母親に送った葉書の一部をまとめたエッセイのようなもので、ストーリーになっている映画の脚本とは違いましたが、脇谷さんの日々の思いの積み重ねが100%詰まったものでしたから、バックボーンとして読ませていただきました。
Q:鈴木さんが演じた主人公・美幸が家族と暮らす団地の撮影場所は、原作者の脇谷さんが実際に暮らしている部屋のすぐそばを借りることができたそうですね。
そのおかげで脇谷さんとは毎朝のようにお会いして、たくさんお話しさせていただきました。ロケ場所の景観は脇谷さんのお住まいともほぼ同じで、わからないことがあればすぐに聞きに行けるし、脳性麻痺の娘のモデルになった娘さんにもすぐに会いに行くことができ、リアルな生活がすぐそばにある中での撮影だったので、すごくやりやすかったですね。脇谷さんはすごく明るくパワフルかつお茶目な方で、クスッと笑えるような身近なことを書いて毎日送り続けた葉書も、「あれ、いつまで書けばいいのやろ?」と気付いたら、5,000枚になっていたとおっしゃっていました。
Q:実際の脇谷さんを知ることで、明るく前向きに苦境を乗り越えた主人公という役を、自信を持って演じることができたのでは?
脳性麻痺や認知症というと違った世界で生きているかのようなイメージを抱きがちですが、もちろん障がいのある子どもの場合は健常者の子育てよりはやらなければいけないことは多いでしょうが、わたしが子育てしているのと同じ感覚なんやなと、脇谷さんにお会いして感じました。他人に対してはなかなかできないようなことでも、愛する我が子のためなら自然に何でもできてしまうということは、わたしも実際に経験してきているので、主人公の苦境を重く受け止め過ぎたり、大変さを伝えるように演じたりしたらアカンなと。決して特別なことではなく、みんな一生懸命に生きている自分たちの世界と変わらないという気持ちにもなりました。
バラエティー番組で学んだことと真逆の挑戦
Q:監督は、中国人2世の父を持ち日本で生まれ育ち、香港をはじめアジアを中心に俳優や歌手としても幅広く活動するジャッキー・ウーさんですが、どんな演出をされたのですか。
わたしはこれまで、テンポよくしゃべるとか間を空けずに気持ちのいい会話のラリーをするようなことをバラエティー番組で学んできていたのですが、撮影初日に監督からまず言われたのは「間を空けてください」と。それに、「今回、あなたは主演で、これは映画でCMが入らないし、決められた尺もないから、会話のラリーを簡単にしないでください。自分の間でセリフを言えばいいし、言いたくなければ言わなくてもいい。長回ししているので何でもやっていい」と。完成品もわたしの芝居にたっぷりと間をとった編集になっていて、主人公の感情と共にカメラが動いていたり、わたしが相手の方の芝居を受ける表情を使ってくれていたりと、観客が主人公の気持ちに寄り添えるような作品に仕上がっていて。主人公への愛にあふれた映画でしたから、最初に見終わった直後は、感謝の言葉と涙が止まらなかったですね。
Q:実年齢に近い母親役(38歳)ですし、老いた両親との関係や介護問題なども、同世代以上の人にとっては誰もが身近に感じられる問題なので、感情移入しやすい役だったのでは?
脚本の素晴らしさもあると思うのですが、おっしゃる通り共感できるところが多くて、セリフを言わなきゃという感じではなく、自然にセリフが出てくる感じで、本当にそのセリフを言いたくなりました。お芝居をしたという感覚があまりなく、監督やスタッフの皆さんが主人公に愛情を持ってくださったことや、原作者の脇谷さんがすごく素敵な方でしたから、そういうことでも気持ちを持っていかれたというか、撮影期間中は美幸という女性を生きさせてもらったような神秘的な感覚でした。
鈴木紗理奈という生き方
Q:以前は数多くの作品に出演されていたのに、2000年代半ば以降は2015年公開の映画『味園ユニバース』まで女優業から距離を置いていたようですね。
その頃はレゲエに没頭して音楽活動に夢中になってしまい、仕事を休んでジャマイカに行ったりもしていたので、お芝居の出演依頼などをお断りしていた時期があったんです。今となってはあの時やっていたらよかったなと思う作品もあるのですが、当時は音楽活動を優先してしまっていたもので。久々に『味園ユニバース』でお芝居させていただいた時には「楽しい~!」って感じましたね。
Q:今回は、意外性がありながらも役に合った年齢で、なおかつ関西弁の芝居をできる方ということで白羽の矢が立ったようですが、ご自身にとってもタイミングがよかったわけですね。
40歳という節目を迎えるにあたり、女優の仕事もやっていきたいということは事務所の方にも伝えていて、そんな時に今回の出演依頼をいただいたので、本当にタイミングがよく、「ぜひ、やらせてください!」「頑張ります!!」みたいな感じでしたが、その一方で、わたしが製作者側だったら鈴木紗理奈主演というのは結構不安だとも思うため、「本当にわたしで大丈夫ですか?」という気持ちもありました(笑)。
Q:今回のような女優業、「めちゃ×2イケてるッ!」などバラエティー番組でのタレント業、MUNEHIRO名義での音楽業など、多彩な活動をされていますが、それぞれに対する現在のスタンスや思いをお聞かせください。
お芝居はいろんな人生経験が生かされるものだと思うので、大阪出身の働くシングルマザーである今のわたしだからこそできるお芝居もあるのかなと思っています。ただ、それぞれのスタンスを考え過ぎると、自分の中で混乱したり、筋が通らないことも出てきてしまうので、40代になった今のわたしが思っていることは、鈴木紗理奈という人生を、人としてまっとうに生きるということ。求められてこその仕事なので、活動の割り振りは自然にまかせて、鈴木紗理奈という剣を研ぐ作業というか、自分自身を見つめ直して芯を強くするような。そのためにも母親業をしっかりやって、まずは私生活をきっちり生きないとアカンなと。そうして、鈴木紗理奈っていう人をピュア100%に生きて、情熱一直線でやっていきたいと思っています!
40代を大事な節目だと思い、「今の仕事を続けていくからには、生きざまを応援してもらえるような地に足のついた魅力的な女性でいたい」と腹をくくった時期にこの映画との出会いがあり、さらには賞までもらえたことを、まさに“キセキ”だったとも語った鈴木。「若い時なら浮ついていたかもしれないけど、今だからこそおごらずにそんな場に立たせてもらえたことへの感謝を忘れないでいられる」とも述べ、謙虚ながらもポジティブなオーラに満ちた現在の心境がひしひしと感じられた。
(C) 2017「キセキの葉書」製作委員会
『キセキの葉書』は上映中