『嘘を愛する女』長澤まさみ&高橋一生 単独インタビュー
一人の女性として手にする幸せに共感
取材・文:浅見祥子 写真:高野広美
同棲5年目の恋人、桔平がくも膜下出血で意識不明になり、彼の名前も職業もすべてが嘘だったと知った由加利。彼は何者か? 由加利は真実を探す旅に出る。そんな謎めいた始まりの映画『嘘を愛する女』で、長澤まさみと高橋一生が共演している。映画『世界の中心で、愛をさけぶ』での共演で10年以上前からお互いを知る二人が、大きな嘘に翻弄される大人の恋人同士を演じる。このストーリーに、二人はなにを思ったのだろうか?
“ある余白”が存在する物語
Q:映画『嘘を愛する女』の企画を聞いた印象から教えてください。
長澤まさみ(以下、長澤):脚本とほぼ同時に監督から想いのこもった手紙をいただきました。この作品が事実を基にした物語だと。文章の熱量が高くてちょっと「呪いの手紙」みたいでした(笑)。それを読んで他人事ではないような、自然と応援したい気持ちになったんです。由加利に対しても同世代として共感する部分がありました。どこかほっとけない映画だなという不思議な感覚で。等身大の女性の想いがつまった、同世代の方に共感してもらえるステキな物語になるんじゃないかなと思ったんです。
高橋一生(以下、高橋):台本の段階で「ある余白」の存在する物語だと感じました。それが映画を観てくださる方にもきっと伝わるんじゃないかと思っていたのですが、完成した映画を観たら、まさにそう思えたんです。観る方の視点によって真実というのは変わっていく、そうしたこともしっかりと描けているんじゃないかと。
Q:「余白がある」とは、想像させる部分が織り込まれていると?
高橋:想像することが大事なのではないかと思うんです。このストーリー自体、由加利さんがいろいろな旅をして桔平さんの真実を見出していくというもの。その真実はあくまで由加利さんにとってのもので、桔平の真実はもしかしたら違うかもしれない。けれど、そうして桔平のことを知るうちに揺れて動く由加利さんの心の流れが、しっかりと描かれていると思います。
監督から届いた「呪いの手紙」!?
Q:由加利は働く女性としてリアルなキャラクターですよね。
長澤:そう思ってもらえるはずです。彼女には実年齢に合った生活感があるし、相応の恋愛観も持っています。社会では中堅と言われる世代に差しかかり、そんな自分が抱える問題、会社での自分の立場や家族の問題、一人の女性として手にする幸せについてなど、自分自身と遠いものではなかったので共感できました。
Q:それでいて由加利は、人がいちばん言ってほしくないことをズバッと言ってしまうところがあったりしますね。
長澤:女性って自信過剰になると一言余計に言ってしまう部分があるのではないかなと。社会の中で男性と肩を並べて働くと、女性であるのを忘れて男になっちゃう瞬間があるというか。でもそうした瞬間を見た男性は、やはり女性には「女」であることを求めるから引いたりして……。あれ、仕事の場では同じ土俵じゃないんかい! となるというか(笑)。本当には男女平等ではないことを感じる瞬間ですよね。でも平等であることが必要なのかな? と思ったりもします。女性は「女」であることを忘れてはいけないし、男性も「男」としての感覚は譲れない部分があるというのを自覚したほうがいいのかなと。どんな関係性であれ、どちらかの一方的な努力で成り立つものではないと思います。
Q:桔平は謎めいた存在です。どこまで謎を匂わせるのか、その微妙な塩梅は事前に決めていくというより、撮影現場で考えられたのでしょうか?
高橋:この作品だけでなく、すべてにおいて僕はそうです。現場に行ってスタッフの方々や監督さん、共演者の方、この映画なら長澤さんたちとつくり上げていく。お芝居というのは肉体でやるもので、相手によって変わっていきます。事前にいくら役に近づけたとしても、作品によって共鳴性の違いはあるものです。どうしても。
Q:中江和仁監督は首の傾げ方もミリ単位で指示するなど、かなり演出が細かいとか?
高橋:そうですね。ただ中江監督とはその点で和解したんです。「和解」って、別にケンカしていたわけじゃないんですが。
長澤:ケンカはしてませんでした(笑)。
高橋:たぶん中江監督は自分が想像するもの、この画角内で起こりうるだろうことを超えてほしくて待ってくださっていました。だから映画の現場らしい、待つ時間というものがそこには存在していました。なんとも言葉では説明しがたい雰囲気、そういうものをミリ単位で求めていたのだと思います。ミリ単位の動きが問題だったのではなく、もっと内省的なもの、その違いによって内側にあるものがどう見えるか? それを何度も試されていた。そういうことを先日中江監督が話されていて、なるほど! となりました。その種明かしによって僕のお芝居の方向性が変わるわけではないので、今それがわかってよかった悪かった、ということではないんですけれど。
長澤:中江監督は物静かな人じゃないですからね。意外とパッションの……「呪いの手紙」をくれるような方で(笑)。熱いんです。
高橋:「呪いの手紙」ってそれこそ語弊がない?
長澤:え~っと……「熱い想いのこもった手紙」(笑)。いまどき手紙を書いてくださる監督って少ないですよね。
高橋:いないいない。
長澤:映画に対しての熱い思いとやる気にあふれ、強いパッションが伝わりました。
共演はちょっと、不思議な感覚
Q:お二人は過去に何度か共演されていますが、今回はがっつり向き合ってお芝居されたわけですよね?
長澤:でも……そういう感覚でもないんですよ。
高橋:作品によって毎回「はじめまして」という感覚があるんです。いつでも演じる役を通して見てしまうからかもしれませんが。
Q:何度か共演しただけに、恋人役に照れくささがあったとおっしゃっていましたが?
長澤:私が特にそうでした(笑)。一生君と恋人の役とかやるんだ、そっか……となんだか感慨深く思えて。
高橋:それは確かにあります(笑)。
長澤:不思議な感覚でした。年齢的にはちょっとお兄さんで、とはいえある年齢を超えると年の差なんてあまり意識しなくなる。感覚としては今回の役柄とは全然別のイメージがすでにあったので恥ずかしいと思ってしまって。しかも由加利と桔平はちょっと手をつないで歩くという距離感じゃないですよね。もっと深い関係性だから余計に「あっ恋人役か」という感じで。その前に共演した舞台「ライクドロシー」(2013年)ではお互いにバカな役をやってたし。
高橋:それぞれにベクトルの違うバカでした(笑)。
Q:久しぶりの共演で変化や成長を感じるところはありましたか?
高橋:本質的なことはなにも変わってなくて、しっかりとお芝居をされる女優さんだと。やはり僕は役として向き合ってしまうので、由加利さんだと思ってしまって。成長を感じるという感覚ではなかったかもしれません。
長澤:よかったです。
Q:桔平役をつくる上で、相手が長澤さんだからこうなったと思える部分はありますか?
高橋:ええ。長澤さんのお芝居のつくり方として、芯の強さみたいなものが役柄ににじみ出ていると思うんです。そこに感化された部分はあると思います。そういう由加利に対し、桔平がこういう在り方だと女々しく見えてしまうかもしれないとか。そこは上手くバランスを取りながら。そういうことは感覚的に、反射としてやっていたと思います。
Q:完成した映画を観た感想は?
長澤:……どうだったかな(笑)?
高橋:……どうだっけね(笑)?
長澤:(笑)。まだ一回しか観ていなくて。でもただの恋愛物語じゃないなって思いました。人は誰かを想い、その相手もまた誰かのことを想う。人生はその繰り返しで、終わりがないんだなと感じました。それが一方的なのか、双方向なのかはわからないですけど。それでやはり想い合うという関係性でないと、パートナーというのは成り立たない。それを思ってジーンときました。
高橋:由加利は桔平のすべてが嘘だとわかった時点で、真実を見にいこうとするわけです。それで桔平の過去を追うんですが、最後に今現在の真実に立ち戻る。その構成が素晴らしいと思いました。結局は今しかないんだ、と。桔平の過去は彼が残した小説や足跡を追うことでわかっていくけど、それはあくまで由加利さんの中での想像であって、実際の桔平を見ているわけではない。わからないけどきっとこういうことではないだろうか? という由加利の見た真実を抱え、桔平のもとに戻ってくる。過去や未来ではなく、今ここで眠るこの人だけが真実で、そこに由加利が戻るところがとても素敵な映画だと思いました。
10年以上前からお互いのことを知り、時をおいて何度か共演してきた長澤まさみと高橋一生。その安定した信頼感が、二人の間の空気に漂う。30代を迎えて女優としての深みを増す長澤と、まさにいま旬の輝きを身にまとう高橋。それぞれを「変わらない」と言い合い、会話をすると、ごく自然に内容が深く濃くなっていく。そんな二人が、偶然の出会いに始まり、恋に落ち、至福のときを過ごす恋人同士を演じる。その恋のトキメキがリアルで心惹かれるからこそ、「彼は何者か?」という謎への興味が強くなる。今現在の二人だからこそ、可能だった演技なのだろう。
映画『嘘を愛する女』は1月20日より全国公開