『返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す』井浦新 単独インタビュー
戦闘機の爆音から怒りと恐怖を感じた
取材・文:斉藤博昭 写真:平岩亨
1972年に実現した沖縄返還の裏側を描いたNHKドラマを再編集して映画化。日米両国の思惑に翻弄されながらも、返還までの交渉を決死の思いで遂行した外務官僚の千葉一夫さんの苦闘を描いた『返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す』で、千葉を演じたのが井浦新だ。実在の人物であり、外交官としてアメリカ側と流暢な英語で交渉するなど、さまざまな演技のチャレンジがあった今作について、井浦が熱い思いを語った。
実在の人物になり切るための険しい道
Q:実在の人物を再現するにあたり、どんなことをポイントに役作りをしたのでしょう。
千葉一夫さんを完全に再現することは不可能なので、彼が感じた「怒り」をどこまで僕が感じられるか。そこにかかっていたと思います。千葉さんにまつわる文献を読み、彼を知るご家族の言葉をたどったり、貪欲に、そしてご本人への敬意を忘れずにアプローチしていきました。
Q:肉体的に近づこうとした部分もあったとか……。
千葉さんは体格がガッチリした方でした。体の動かし方やセリフでその肉体を表現することもできますが、少しでもご本人に近づきたかったので、体重を増やしました。とにかくやれることはすべてやっておかないと、撮影の初日に、現場で千葉さんとして立っていられないと感じたので。
Q:千葉さんの「怒り」を感じた瞬間とは?
文字の資料や残された映像は、あくまでも「情報」なので、最後の仕上げとして実際に沖縄に行ったんです。そこで千葉さんが見たであろう、そして感じたであろう戦闘機の爆音にさらされる体験をしました。その瞬間、「実感」として千葉さんの怒りを共有できた気がします。戦闘機が着陸する地点で一日過ごすと、これまで聴いたことのない爆音が続き、脳の奥まで振動が響き、恐怖とともに理不尽な何かへの怒りが芽生えて。恐怖と怒りを肌で感じ、それを体に溜め込んでクランクインを迎えられました。
英会話は帰宅してからも猛練習
Q:アメリカ側と交渉する外交官役として、相手を説得する完璧な英語もこなしていましたね。
この作品で何が一番大変だったかといえば、英語でした。千葉さんが、アメリカ人でさえ舌を巻くイギリス英語を話されていたと知った瞬間、流暢な英語で芝居をしている僕の姿をどうしてもイメージできなくて(笑)。ですから限られた時間の中で、毎日、英語の先生のもとに通い、英語のセリフをさまざまなシチュエーションを想定して練習しました。セリフがすっと出る状態に持っていく感じです。帰宅してからも予習と復習を繰り返し、とにかく口に出してセリフを練習し続けていました。
Q:英語も含めた会話のテンポなど、舞台となる1970年前後のムードが意識されていますね。
監督の「時代」へのこだわりは強かったですね。当時の外交官の言葉遣いはもちろん、相手を論破するための会話のテンポは現代より速いんです。ですから、キャストの誰もが普段の会話の倍くらいの速さを意識しました。髪の刈り上げ部分をカミソリで剃ったようにしたり、メガネもちゃんと度付きにしたりと、とにかく嘘がないように演出されていました。
最も緊張した石橋蓮司との共演
Q:外務省内での確執などで、共演者との迫真のやりとりも大きな見どころです。
僕が千葉さんを演じ切れたのも、大先輩の共演者のおかげです。役の準備は自分一人で行うものですが、実際に現場では相手との距離を察知したうえで、自分の立ち位置を見いだすわけですから。千葉さんのようなキャラクターの場合、周囲を意識せずに、自分で突き進む芝居というアプローチも可能です。でも今回それは物語にそぐわないと感じ、大先輩方の胸を借りることを決意しました。声や体の動きは準備していたので、あまり肩に力を入れずに皆さんと共演すれば、千葉さんの細かい部分が完成されると感じました。
Q:大先輩とは、千葉の上司である西條役の佐野史郎さん、琉球政府(当時の沖縄に設置された政府)行政主席の屋良役、石橋蓮司さんのことですね。
佐野史郎さんは僕と恩師(故・若松孝二監督)が同じという縁で、これまでもさまざまな関係を作っていただいたので、今回の現場は兄弟子と一緒という感覚でした。安心と信頼感を前提にして、刺激的なチャレンジができたと思います。石橋蓮司さんとの仕事は大きな楽しみであり、最も緊張しましたね。共演シーンでは、監督から「今日の新(あらた)はちょっとおかしい」と言われるほどでした(笑)。千葉さんとして自分を存在させたうえで、蓮司さんの胸にとびこむ気持ちで演じました。
Q:そして、今年2月に急逝された大杉漣さんが駐米大使の植田役として登場します。
漣さんとは今回、初めての現場だったのですが、テストの合間にもよく話しかけてくださいました。「新くん、僕らの仕事って答えもゴールもないのに、みんな一生懸命やってる。でもそこが楽しいんだよね」と言われたときは、役者としての喜びを再認識しました。本当に感謝しています。
語り継ぎたい千葉さんの「あきらめない」姿勢
Q:改めてこの『返還交渉人』は、現代の観客に何を伝えると思いますか?
沖縄の現状が、千葉さんの時代と比べて良くなったかといえば、決してそうではない。そのことを僕たちはどこまでちゃんと知っているのか。僕自身も今回の脚本をいただくまでは知りませんでした。あきらめず沖縄の問題に立ち向かった千葉さんの姿を通して、現代を生きる僕らも「あきらめない」という希望を持てるのではないでしょうか。
Q:その「あきらめない」という気持ちは、井浦さんの俳優業にも通じるということですね。
僕にとって俳優業はまだまだ発展途上です。始めて10年くらいの時期だったら、向こう見ずに立ち向かうことも多いでしょう。そういう時期も経て、役者をやらせてもらって20年。年齢的にも、キャリア的にも現在の僕は中途半端な感じはします。現状の自分に満足できないことも多いです。でも、だからこそ、できることを繰り返す。千本ノックじゃないですけど、一本でも多く打ち返せるように、多くの人と出会って、最大のパフォーマンスを模索したいですね。この心境は30年目を迎えても変わらないでしょう。今回、『返還交渉人』の現場で、大先輩の方たちが、演技で苦しみ、その苦しみから楽しさを見いだす姿に接して、改めてその思いを再認識できました。
歴史に埋もれそうな「真実の物語」を映画にしたとあって、一つ一つの質問に、丁寧に、まっすぐに答えた井浦新。劇中の豪快で、時に言葉を荒らげても意志を貫き通す千葉一夫とは全く違う素顔に、彼の役者としての才能と、役への誠実なアプローチが実感できた。大杉漣さんからの言葉をはじめ井浦のコメントを重ねながら作品を観ると、その感慨はさらに深まることだろう。『返還交渉人』は、井浦にとって大きなチャレンジであると同時に、今後の俳優人生に強い影響を与える作品になったようだ。
(C) NHK
映画『返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す』は6月30日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開