『未来のミライ』細田守監督 単独インタビュー
子供と一緒にいると時空を飛ぶ
取材・文:轟夕起夫 写真:高野広美
ごくごく個人的な体験を描きながらアニメーション本来の躍動感、世界にあまねく通じるエンタメ性を両立させた、細田守監督の約3年ぶりの新作『未来のミライ』。主人公は4歳児の「くんちゃん」だ。生まれたばかりの妹に両親の愛情を奪われたと思い、パニック状態に! が、そこから物語がみるみるうちに、くんちゃんの家族の「過去・現在・未来」へと広がっていくのが細田作品の真骨頂。細田監督へのインタビューを通して、自由に時をかけてゆくその頭と心の中を探ってみる。
映画のダイナミズムは坂道に宿る
Q:4歳児の主人公くんちゃんが、生まれたばかりの妹に両親の愛情を奪われるというのは、細田監督のご長男のエピソードから生まれたそうですね。
ええ。下の子が生まれると上の子は、今まで一身に浴びていた僕らからの愛を奪われた気がしたのか、床にひっくり返って泣き叫び、暴れたんです。その姿がとても印象的でね。僕自身は一人っ子で育ったのですが、上の子だって、下の子が誕生するまでは一人っ子だった。だから、十全に息子を理解しているつもりだったのですけれど、下の子が生まれた途端、僕が経験したことのない苦悩、それも4歳にして“愛を奪われる”という人間の本質的な苦悩と直面したわけで、そう考えると「スゴいことだな」と感じたんですよね。
Q:くんちゃんは、家の庭で未来からやって来た妹の「ミライちゃん」と出会いますね。しかも「ミライちゃん」は成長した姿でした。
成長したミライちゃんはくんちゃんという子供の目に映った世界でのことで、僕がもう一度、子供時代を生き直すような気持ちで映画に臨んだ結果、出てきたキャラクターなんです。今回、家と庭が舞台の中心なのも、くんちゃん目線に則っているから。4歳児って本当に、まだ行動半径が狭いんですよ。ただし、大人にしてみれば単なる小さな庭であっても、子供の空想力だったらもっと広くて深い光景を見ているんじゃないかと。だとしたら面白いなあと思って、異世界とのいろいろな出会いの場にしてみました。あと昔から「秘密の花園」や「トムは真夜中の庭で」など、僕が親しんできた英米児童文学には伝統的に庭園を介しての不思議な出会いを描いた作品があり、その影響も受けています。
Q:くんちゃんの家の建築デザインが、大変ユニークですね。
映画やアニメーション専門の美術監督がデザインするのではなく、独創的な建築家として知られる谷尻誠さんにお願いをし、相談しながら一緒に空間設計を決めていきました。例えば「映画のダイナミズムは坂道に宿る」という話をしましたら、素晴らしい発想力で室内に段差のある家をプレゼンしてくれましてね。くんちゃんの身長はおよそ100センチなのですが、その身長の目線に合わせて段差をつけ、何層にも景観が変わるよう設計されています。あの大林宣彦監督の『時をかける少女』も尾道の坂道を巧みに活用しているからこそ、作品に独特な弾みがつくわけで、谷尻さんのおかげで室内にもかかわらず、映画的な“高低差のダイナミズム”を出せました。
子供といると時空がごちゃ混ぜになる
Q:建築デザインというワードから連想したのですが、「子供が生まれる」ということは、家族のデザインを引き直すことなのかもしれません。
まさにその通りですね。僕らはつい、かつての家族像や枠組みに自分たちを合わせようとするところがあって、「おとうさんは外で働き、おかあさんは家事をし、子供は二人以上いて、そして固い絆で結ばれている」というのが一つのスタンダードだった。でも現実は決してそうではない。僕も一人っ子でしたから従来の枠組みから外れていたのですが、現在はもっと「家族の形」は激変している。価値観は多様で、絆というのも曖昧なもので、だから事あるごとに新たに家族のデザインを引き直す必要があるんじゃないか。子供が生まれれば夫婦で話し合い、役割分担をし直して、互いの関係を再定義する。いろいろと面倒で不器用ながらも、それが今の「家族の形」なのでは……と僕は考えています。
Q:くんちゃんのおとうさんはフリーの建築家で、家事に育児に悪戦苦闘します。現在、父親である細田監督ご自身も経験したエピソードが入っているのではないでしょうか。
劇中に自転車の練習をするシーンがあるのですが、僕の経験上、自転車を持って子供の背中を押しながら、自分が子供の頃、同じように練習をした日々も思い出すんですよね。面白いのは、(その記憶というのが)時には自転車に乗っているのも押しているのも自分であったり、乗っているのは自分の子供で、押しているのは若き日の僕の親だったりもする。両者の気持ちがわかるからなのか、“家族の歴史”の時空がごちゃ混ぜになるんです。今回はくんちゃんを通して時空が飛ぶ描写を、理屈的には全然説明していないんですけど、子供と一緒にいるとなぜかそういう感覚に襲われることがあるんです。
4歳児のアイデンティティーをめぐる冒険
Q:時空をこえたくんちゃんは未来の東京駅で迷子になりますが、ここで物語は4歳の少年のアイデンティティーをめぐる冒険になります!
あのシーンを作るにあたっては、僕が迷子になった幼年期の記憶を辿ってみました。自我がまだ定まっていない中、他者にそれを説明しないと脱出することができないわけで、これは本当に怖い。海に浮かんでいて、親がいつの間にか離れ、遠くへと泳いでいき、自分だけがポツンと一人になっているのも一種の迷子体験で、そんな出来事もこの作品を機に思い出しました。親の目線、つまりは愛情が注がれている範囲内では子供は安心し、自分について深くは考えないものですが、周りに庇護者がおらず、危機的な状況に投げ込まれると、否応なくアイデンティティーを突きつけられる。でもこれって実は子供だけではなく、大人もまたそうなんじゃないでしょうか。
Q:作品の中に“個人的な体験”を入れていくことのメリットとデメリットについては、どのように感じられていますか?
デメリットというか、周囲からは不安視されます。うちの奥さんも「子供時代をネタにされて、ひねくれた例って結構あるよ」と。こんな平凡なものが興味を引くのだろうか、という葛藤も。でも路傍の石みたいな普通の人生だからこそ描く意味があるのでは、と考えるようになりました。それに、実体験に裏打ちされたものはやはり、おのずと“表現の強度”を獲得するんですよ。
子供の想像の中に広がる現実をこえた風景
Q:ごく小さな家族の物語にもかかわらず、深遠な“歴史と未来”を描いた作品になりました。
自分の息子がね、くんちゃんみたいに電車のおもちゃで遊びながら顔を床にくっつけて、いっぱいに広げた電車のおもちゃをよく眺めているんですけど、大人からするとこれって、単におもちゃと戯れているだけに思える。でも彼の目には現実をこえた風景が映っていて、想像の中ではものすごく大きな駅であったり、ユニークな電車たちが行き交っているはず。かつて僕もそうでしたから。そんな風に、自由に子供が見ているイメージを再現してみようと、それこそが僕らの未来像へとつながるのではないか……と夢を託しながら、この映画を作ってみました。
取材を終えて、ふと音楽の話題になった。オープニングテーマを担当するのは『サマーウォーズ』以来、2度目となる山下達郎。細田監督は興奮気味にこう語った。「今回は子供が主人公なので、“跳ねるような、楽しい曲をお願いします”と伝えたら、楽しいだけではなくカッコよくて、作り込まれた、ちょっとシュガー・ベイブ時代を彷彿させるような曲があがってきて!」夏の匂いがするその曲名は「ミライのテーマ」。夏の匂い。それは、未来の匂いだ。
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『未来のミライ』は7月20日より全国公開