『生きてるだけで、愛。』菅田将暉 単独インタビュー
質感を大切にした大人の芝居を託された
取材・文:坂田正樹 写真:中村嘉昭
感情を制御できない引きこもりの女と、彼女と本気で向き合えない恋人の危うい同居生活。小説家、劇作家の本谷有希子が2006年に発表した同名小説を映画化した本作で、優しいとも無関心ともつかない曖昧な若者の姿をリアルに表現してみせた菅田将暉。『共喰い』以来、約5年ぶりにタッグを組んだ甲斐真樹プロデューサーのもと、受けに徹したオフビートな魅力をスクリーンに焼き付ける。近年、映画、テレビ、舞台と多忙な生活を送る中、そろそろ等身大の自分に近い役を演じたかったと吐露する菅田が、その真意を語った。
本来の「菅田将暉」に寄り添った作品
Q:脚本を読んだ時点で、「自分たちの世代が『よくぞやってくれた!』と思えるような映画になる」と直感したそうですね。
今、25歳なのですが、15~35歳くらいの人たちって、社会に出る前からネットニュースやSNSなどに囲まれていて、いろんな情報が周辺にあふれかえっていたと思います。特に今回は「報道(菅田演じる津奈木は雑誌のゴシップ記者)」みたいなことも関わってくるのですが、受け取る僕らは、どれが本物で、どれが偽物なのか、よくわからない。便利な反面、全てが同じ情報として入ってくるこの時代の「息苦しさ」を、この映画はよく描いているなと思いました。今の時代を生きている人たちが感じる“靴についた泥”みたいなものが、この映画にはあるなと。
Q:『共喰い』以来、久々にオフビートな菅田さんを拝見できて、ちょっと懐かしい肌触りを感じました。
確かに(笑)。弾けた作品が結構多かったので、『共喰い』で出てきたころの僕を知ってらっしゃる方はそう思うかもしれません。僕個人としては、今回の役(津奈木)に近い人間なのですが、お芝居でしかできない騒ぎ方を作品の中でやっていたら、いつの間にか「明るい菅田将暉」が浸透してしまった感があったみたいで。「そろそろパーソナルな部分に寄り添ったお芝居をしたいなぁ」と思っていたところだったので、オファーをいただいたときはうれしかったですね。
邦画の「質感」を大切にした大人の芝居
Q:プロデューサーから「今までで一番大人の芝居をしてほしい」と言われたそうですが?
確かにおっしゃっていましたね。僕が思うに、それって大人びた演技をしろとか、精神的に大人になれとか、そういう意味ではなくて、甲斐プロデューサーの中にある「邦画の質感」だと思います。今回、関根(光才)監督のこだわりで、16ミリフィルムで撮ったのですが、なんというか1本の映画の「背負い方」を言っているんだと思います。青山真治監督との出会いから始まった『共喰い』をきっかけに、これまでいろいろな映画をやらせていただいて、運良く賞もたくさんいただいて……。そんなタイミングで甲斐さんと再会できたので、新たな「手触り」みたいなことを僕に託されたのだと思います。
Q:その言葉を踏まえて、津奈木をどんな風に捉え、演じようと思いましたか?
そもそも、人間ってそんなに感情をあからさまに表に出しているわけではないし、特に日本人はおとなしくて受け身。でも、戦後の立ち直り方なんかを見ると、何かを壊されたあとに修繕していくことには長けた民族だと思うんです。津奈木のことを考えていたら、ふとそんなことを考えてしまって。感情表現が乏しく、役柄もしっとりしているけれど、その振る舞いは、なんというか、現代の「日本兵」のような感じがしました。
「面と向かわない」という向き合い方もある
Q:感情を制御できない趣里さん演じる寧子(やすこ)と、彼女と向き合わない津奈木のかみ合わない同居生活。この二人を結びつけているものは何だと思いますか?
劇中、「わたしのどこが好き?」と寧子が津奈木に問うセリフがあるのですが、津奈木は、出会ったときの話を滔々(とうとう)とするんですよね。その中で、頭から血を流して走っている寧子の青いスカートが揺れていて、「その画がすごく美しかった」と津奈木が告白する。それが、彼女と一緒にいたいと思う理由かどうかはわからないけれど、この言葉に津奈木の思いが込められているような気がします。
Q:寧子にしかない「美しさ」に惹かれたということですか?
そうですね。これは僕自身がそうなのですが、友人、家族、仕事仲間など、いろいろな人と関わる中で、その人の中に勝手に「美しいもの」を期待している自分がいるんです。例えばスタイリストさんだったら、今日、どんな服を持ってきてくれて、それを着た自分がどうなって、撮っていただいた写真がどうなるのだろう? と想像すると楽しくなる。なんかそういう自分の中で感じる「美しいもの」への期待感が寧子の中にあるんです。だから一緒にいられるのかなと。確かに、家にいても寝てばかりで、片付けもしない、仕事もしない。まっとうな大人だったら、「ふざけんな!」って話ですが、それも踏まえながらも、寧子にしかない刺激を津奈木は美しいと感じたのだと思います。
Q:言葉のキャッチボールだけがコミュニケーションではないと思いますか?
確かに津奈木は寧子に対して無関心のように見えますが、僕は「面と向かって向き合わない」という向き合い方もあると思っています。言葉ってツールだから、どう使うかなんですよね。それは、メールやSNSも同じ。言葉だけじゃなくて、一緒にいて感じるものってあるから、そういうところに津奈木は敏感なんじゃないかなと。もともと物書きになりたかった人だから、そういうところにもつながるのかなと思いますね。
趣里ちゃんの声には「悲痛」がよく似合う
Q:趣里さんとの初共演はいかがでしたか?
すごく楽しかったですね。今回はフィルムでしたし、セリフも動きも概ね決まっていましたが、それでも、それぞれのシーンが趣里ちゃんとでなければ生まれない「特別な時間」になるんですよ。ひと言でいえば、心地良かった(笑)。
Q:独特の魅力がありますよね。
それこそ、さっきの「美しいもの」の話じゃないですが、体の使い方とか、しなやかさとか、彼女がもともとバレエをやっていたのもあるのですが、そこが本当に魅力的でしたね。寧子って髪の毛はボサボサだし、不健康そうだし、女性的な魅力が目に見えてわかるタイプではないけれど、でもなぜか、嫌いになれないのは、やはり趣里ちゃんだからかなと思います。あと、ちょっとハスキーな声も好きですね。「悲痛」が似合うというか(笑)。普段のしゃべりもざらつき感があって、どこか叫び声に聞こえるし、気持ちがすごく伝わってくるんです。また違った作品で、ぜひ共演したいですね。
Q:津奈木は、感情を溜めて大爆発するタイプ。実際にはどんな感情で演じていたのですか?
怒りを溜めるだけ溜めて大爆発することって、みんなあると思うのですが、ただ、あるシーンでブレーキが利かなくなってしまうから、津奈木は寧子と一緒にいられるんでしょうね。ストレスとか心労というのは、それを感じたところでしか取り戻せないと思うので、仕事で不満を感じていた津奈木の勇気というか、素直さが一気に出たシーンだと思います。
Q:なるほど、津奈木の中に寧子の要素があったと……。
社会からはみ出してしまった人間と、社会の中で生きることになってしまった人間が、最終的に同じところで共存し、心のどこかで共鳴し合っている。「じゃ俺たち、どう生きたらいいんだよ」という問いが、たぶん、この映画のタイトルにつながるのかなと思いますね。
『共喰い』から約5年、さまざまな役を経験しながら、俳優としてひと回りも二回りも大きくなった菅田。閉ざされた心情と己の意志をにじませながら、怒りのエネルギーを溜めていくその抑制された演技には驚くばかり。彼を発掘した甲斐プロデューサーの目にはどのように映っていたのだろうか。いずれにしても、この若さ、この年月で、ここまで熟成する俳優はそういない。
(c)2018『生きてるだけで、愛。』製作委員会
映画『生きてるだけで、愛。』は11月9日より全国公開