『ヒキタさん! ご懐妊ですよ』松重豊 単独インタビュー
リラックスすることがいい芝居につながる
取材・文:早川あゆみ 写真:伊原正浩
出演した映画は130本以上、人情派から強面までどんな役柄でも演じてきたバイプレイヤー・松重豊が、満を持して映画で初めて主演に挑んだ。作家&イラストレーターのヒキタクニオの実体験エッセイをベースに、男の妊活という題材を通して、夫婦の葛藤と成長をユーモラスにあたたかく描いた『ヒキタさん! ご懐妊ですよ』。あまり知られていない妊活と不妊治療の世界、23歳差の北川景子との夫婦役、そして何より映画初主演と、新たなチャレンジが詰まった本作について松重が語った。
主役でも変わらないスタンス
Q:映画初主演ですが、心掛けたことはありますか?
「主役だからこうしたい」というのはまったくなくて、これまでと同じように役に向き合ってきました。強いて言うなら、「主演ってクランクインからアップまで、ずっと撮影現場にいるんだな」って思ったくらいで(笑)。どんな仕事でも大事にしないといけないのはスタッフとの一体感だと思っていますが、今回は素晴らしいスタッフに恵まれ、僕は何のストレスもなく、毎日機嫌よく撮影現場に行って、ただちやほやされるがままに、終始楽しく過ごしていました(笑)。
Q:主役としてこれをしなきゃ、といったプレッシャーもなく?
まったく(笑)。細川(徹)監督は舞台もやってらっしゃる方で、いい意味でユルくて、そのユルさがこの映画に関してはいい方向に作用したと思います。ヒキタさんが妊活に必死になる物語なわけですが、どこかに余裕やユルさがないと、ことがことだけに見ていて辛すぎると思うんです。ユルい雰囲気に助けられたと思います。……って、あんまりユルいユルいというのも、ある意味問題かもしれないですが(笑)。
リラックスしながら集中する
Q:撮影現場の雰囲気作りには気を配ったそうですね。
主役の場合はずっと撮影現場にいるし、自分が責任を負えますからね。ちょっとだけゲストで参加する作品の場合は、たとえ撮影現場の雰囲気が悪くても僕には「大変そうだね、力になれずにゴメン」と主役の方に言うくらいしかできないんですけど。撮影現場の雰囲気がいいほうが、いい作品ができるのは当たり前です。みんなが気持ちよく仕事ができることが大事だと思っています。
Q:具体的にはどんな雰囲気がいいと思いますか?
怒鳴る人もいない、変な緊張を強いる人もいない、みんながリラックスしているということです。プレッシャーを与えていい芝居を引き出す手法もあるのかもしれませんが、それは違うと思う。たとえば怒鳴るオヤジの役でも、心の底からリラックスしてその場に臨み、集中しながら“怒鳴るオヤジになる”ほうが、絶対にいいんです。追い詰めて怒鳴るオヤジをやらせるみっともなさは、見ていて苦しくなります。すべての演者が心からリラックスして、カメラの前に立つのが楽しいと思えれば、僕はそれでいい。そして、撮影現場の雰囲気がよければいい作品になるんです。今回は、打ち上げのときも「何時までいるんだよ」って思うくらいみんなが帰らずに名残を惜しんでいて、「ああ、楽しかったなあ」と思えました。こうして撮影の1年後に取材を受けていても素晴らしい思い出ばかりだから饒舌に語れますし、がんばって宣伝しなきゃと思えます(笑)。
2回り差の夫婦役
Q:北川景子さんとはとても素敵なご夫婦でしたね。
上司と部下役しかやったことがなくて、そのときはまさか夫婦役をやるなんて思ってもなくて。2回りも年上のこんなジジイとの夫婦役だったのに、「そんなに年上でしたっけ?」と冗談とも本気ともつかないことをおっしゃってくれて、そこから先はカメラの前はもちろん、控室にいるときも年の差を感じることはありませんでした。
Q:北川さんはどんな女優さんでしたか?
演技を理論的に考えてらっしゃるし、緻密に役に取り組まれるし、何より頭のいい方です。たまたま同じ大学出身だったこともあって、先輩後輩のような、親戚のおじさんと姪っ子のような、ちょっとした同志のような関係になれました。その辺は、北川さんがうまくコントロールしてくださったと思っています。
Q:そんな絶妙な関係性から生まれたからこそ、妊活というデリケートな題材も心地よく見られる作品になったのかもしれませんね。
あまり扱われない題材ですよね。いろいろな立場の方に共感してもらえたら幸いだと思います。治療に苦労してらっしゃる方の気持ちを大切にしたのはもちろん、治療に反対する妻の父親役の伊東(四朗)さんや、治療しなくても次々に子どもが生まれる担当編集者役の濱田岳くんなど、周囲の人たちにも、共感したり反感を覚えたり、いろいろ感じてもらえたらと思います。僕自身も、結婚して子どもが生まれるまでの3年間は夫婦で悩みましたが、そのときにお互い本気で関わり考えたことで、今も夫婦でいられるのかなと思っています。女房と向き合うことは苦ではないので(笑)、これからも真剣に向き合うつもりです。最終的に気持ちが奥さんのほうに行くってところは、ヒキタさんも大事にしていますし、実際、大切なことだと思います。
やったことがないことにチャレンジしたい
Q:30年を超える芸歴の中で演じたことがない役はもはやないのではないかと思いますが、今後はどんなことをやってみたいと思いますか?
役者の仕事でもそれ以外でも、やったことがないことにチャレンジしたいです。「松重豊にやらせてみたい100のこと」があれば、ひとつずつつぶしていきたい(笑)。何でもいいんですよ。たとえば役者の仕事なら、妊活に取り組む役をいただけばその期間ずっと妊活のことで頭がいっぱいだし、ピアニスト役なら必死でピアノを弾く。それをこなしていくのが、僕の楽しみなんです。
Q:オーダーがあればどんなことでもチャレンジしますか?
できないことはあると思います。歌も踊りも苦手だから「ミュージカルに出演しろ」と言われたらさすがに無理だし(笑)。でも、「できるかも」と思えることならやりますよ。何かオーダーいただいたり、自分で情報を見つけたりして、それが面白いと思えたら乗っちゃいます。
終始にこにこと柔らかい表情を浮かべ、穏やかにゆっくりしゃべる松重。視線を少しだけ外すシャイな様子も、温かい人柄がにじみ出るよう。北川との共演作でもある『HERO』シリーズで見せた気弱だけどやるときはやる上司、ドラマ「パーフェクトワールド」の娘を思う頑固な父親、映画『引っ越し大名!』での怖い上役、そしてシーズン8の制作が決定した人気作「孤独のグルメ」シリーズでの朴訥(ぼくとつ)な健啖家……。多彩という一言では表現しきれない芝居の深みに魅了されるファンは多いが、それ以上に、誰もが楽しくいられる仕事場が大切だと思いのたけはきっぱりと語るその姿から、人としての確かな芯を感じた。
(C) 2019「ヒキタさん! ご懐妊ですよ」製作委員会
映画『ヒキタさん! ご懐妊ですよ』は10月4日より全国公開