『Fukushima 50(フクシマフィフティ)』佐藤浩市&渡辺謙 単独インタビュー
使命感という言葉はそぐわない
取材・文:轟夕起夫 写真:日吉永遠
「佐藤浩市と渡辺謙」がタッグを組んだ待望の、2度目の映画。それは社会派のビッグプロジェクト『Fukushima 50(フクシマフィフティ)』だった。原作は門田隆将のノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」。2011年3月11日、忘れもしない東日本大震災での大事故直後、空前絶後の危機に立ち向かった技術者と作業員たちを描いた作品である。福島第一原発1・2号機当直長の伊崎役に佐藤浩市、所長の吉田役に渡辺謙……日本映画界を代表する二人のクロストークが実現した。
「3.11」を思い返す
Q:お二人は「3.11」の震災発生時、どちらにいらっしゃったのでしょうか。
佐藤浩市(以下、佐藤):都内です。撮影が早く終わり、家の近所のコンビニに寄ったら、棚の商品がバタバタと落ちてきまして。ビックリして外に出ると、信号機が大きく揺れているのを目の当たりにし、「家族は大丈夫か?」という心配が真っ先に頭をよぎりましたね。
渡辺謙(以下、渡辺):僕は、飛行機の中。ロサンゼルスから帰国するところだったのですが、成田空港には行けず、急遽、石川県の小松空港に降りて、そこで詳しい状況を知りました。
Q:今回の映画『Fukushima 50』への出演ですが、使命感みたいなものは伴っていましたか?
佐藤:正直に言わせてもらうと、それはなかったです。本来、使命感を持って撮影に飛び込むべきなのでしょうが、僕はそういう直情的なタイプではないので。「あのとき何が起きたのかを未来へ伝えていく」という作品の方向性に共鳴したんですね。観てくださった方々の胸に、結果として“何か”を残せたらありがたいけれど、使命感というような大上段には構えていませんでした。
渡辺:僕もその言葉はそぐわないかな。震災以降、宮城や岩手に行く機会は多々ありましたし、気仙沼にカフェ(K-port)を開いたりもしているのですが、福島の方々には何もできていない、という思いがすごくあったんですね。そんな中、オファーを頂き、脚本(=前川洋一)を読んで、自分のなりわいとして「この映画が最大のプレゼントになる」と確信したんです。
『許されざる者』で育んだ緊密な関係
Q:共演されたのは、『許されざる者』(2013)以来ですよね。
佐藤:映画はそうなんですが、『許されざる者』よりもずっと前、大河ドラマの「炎立つ」(1993~1994)でちょっとだけすれ違っているんですよ。
渡辺:あっ、第一部! 僕が藤原経清、浩(こう)ちゃんが源義家役で。
佐藤:芝居的に絡むシーンは全くなかったんだけどね。『許されざる者』は李相日監督のもと、厳しい撮影の連続で一緒に乗り越えた同志というか、あれで遠慮のいらない緊密な関係になれた。
渡辺:うん。その後、「浩ちゃんの映画100本目にはどんな役でも喜んで参加する」と言っていたんだけど、気がついたらもう100本を超えていて、この作品でやっと再共演の約束が果たせた。
Q:渡辺さんふんする吉田所長は、司令塔として緊急時対策室(「緊対」)におり、一方、佐藤さんの役、伊崎は中央制御室(「中操」)で指揮を執っている。ゆえにお二人は劇中、ほとんど顔を合わせていないですね。
渡辺:そうなんです。中操のシーンを先に撮っていて、緊対は後だったのですが、中操チームの撮影現場は浩ちゃんがまとめているだろうと想像したし、逆に浩ちゃんも緊対チームでの僕をそう思ってくれていたはず。それって吉田所長と伊崎の関係に限りなく近く、その信頼感を自分の演技に込めました。
佐藤:僕も中操のシーンが終わって緊対の撮影に移るとき、「謙さん、あとは頼む。バトンは渡したぞ」という気持ちになりましたよ。中操の決死の立場を汲んで、国や東電の「本店」とぶつかることも辞さない吉田所長と、伊崎はエマージェンシーコールの赤電話一本のみで繋がっていたわけだけども、確かに二人は固い絆で結ばれていた。
渡辺:実際ね、撮影においても中操の現場を見ず、録音部の用意してくれた“浩ちゃんの声”のみと対峙し、赤電話一本で命をかけて向き合っている気がしましたから。
なぜ彼らは原発にとどまったのか
Q:吉田所長と伊崎がふと、洗面所で語り合うシーンが胸に刺さりました。
佐藤:「俺たちは間違っていたのか……」と伊崎がつぶやく。“原子力とは何ぞや”ってことを一から叩き込まれ、“決して怖いものではない”と信じ続けてきた人間が。
渡辺:あの未曾有の事故により、見落としていたものがあったと、疑問が湧いたんだと。「俺たちは間違っていたのか」という吐露は断腸の思いですね。それを受け止めた吉田所長にとっても。
Q:しかしこの映画、原発の是非を問う作品ではないですよね。
佐藤:最前線の作業員の多くは地元の方々だったのですが、彼らは家族や古里の肩越しに国を見たのか、あるいは国の肩越しに家族や古里があったのか、どっちなんだろうと、まず考えてみた。ところが、撮影を進めていくうちに、それは役者のロジックであると気付かされました。彼らはただ、被害を防ぐためにそこにいなければならなかった。そのことを切に感じながら、僕は現場に立っていました。
渡辺:原発が、日常生活と切り離せずにあった人たちですからね。小さい頃から近くにあってそこに就職し、みんなで働いて……というのが普通のことだった。僕らはこの映画が、拳を上げて何かを主張するような作品にはしたくありませんでした。観てくださった方々、一人一人の答えに委ねたいと思います。
緊迫の中、所長が民謡を口ずさむ意味
Q:互いの演技でとりわけ心に残っているシーンは?
渡辺:一番感動させられたのは、ラストですかね。あそこで振り返る伊崎の顔の中に、この映画のキャスト、スタッフはもちろん、現地で被害に遭われた人たちの思いも全て背負った心情が表されていた。同世代の俳優の芝居を見て、「俺、本当にこの俳優を尊敬するわ」と思ったのは初めてのことです。
佐藤:ちょっと、こそばゆいよ(笑)。
渡辺:言ってる俺も、こそばゆいんだけど(笑)。でもね、正直、そう感じたんだ。
佐藤:僕はね、吉田所長が緊急時対策室で突然、民謡を口ずさむシーン。最初はどうなるか、不安もあったのですが、エキストラも含めてみんなが聴き入っていました。
渡辺:ある種、地元の魂みたいな唄だよね。野馬追い行事の「相馬流れ山」。これをあの緊迫したシチュエーションで口ずさむというのは、えらい大変だった。
Q:事前に脚本に書かれていたのですか?
渡辺:ありました。アドリブではできませんよ、怖くて(笑)。若松(節朗)監督にはくれぐれも「一節やったらすぐに、岩代(太郎)さんの壮大なオーケストラに変えてね」とお願いしていたんですが、結構使われちゃいましたね。
佐藤:地元の人間ではなく、県外の、関西出身の吉田所長が思わず口ずさんでしまうところに深い意味があると思う。しかもあそこで、謙さんの言うように、叙情的なストリングスに編曲していくのがセオリーなのを、若松監督はそうせずに唄だけを使った。僕はこれ一つとっても「勝負をかけている」監督の覚悟に拍手を送りたいです。
監督を手掛けた若松節朗は、渡辺謙と『沈まぬ太陽』(2009)、佐藤浩市とは『空母いぶき』(2019)などで組んでいる大ベテラン。映画の力を信じたこの三人の、いや無数の人々のタッグが本作を生んだ。それにしても渡辺謙が佐藤浩市を、親しみを込めて「浩ちゃん」と呼ぶときのフレンドリー感よ! 二人の間に流れる信頼感が、完成した映画にもしっかりと反映されている。
(C) 2020『Fukushima 50』製作委員会
映画『Fukushima 50(フクシマフィフティ)』は3月6日より全国公開