『望み』堤真一&石田ゆり子 単独インタビュー
傍観者のままではいられない映画
取材・文:轟夕起夫 写真:木川将史
「検察側の罪人」などの雫井脩介の同名ベストセラー小説を、『人魚の眠る家』『十二人の死にたい子どもたち』の堤幸彦監督が映画化したサスペンス『望み』。初共演の堤真一と石田ゆり子は、堤監督いわく「たとえ家族であっても究極のシチュエーションに陥った時に、それぞれの望みは同じではない」という過酷な世界を生きてみせた。息子は殺人犯か、被害者か。極限の状況に追い込まれた夫婦を演じ切った2人が、家族の、そして人間関係の難しさについて語り合った。
難役だからこそやる価値がある
Q:終始、緊張感が続き、役者さんにとって「負荷」の高い作品ですが、出演を決める際、後押ししたものは何だったのでしょう。
堤真一(以下、堤):一番は脚本です。僕はいつも、監督がどなたかは関係なく、脚本ありきでして。いただいて一気に、没頭して読んでしまいました。失踪した息子(岡田健史)が殺人事件に関与しているけれど、加害者なのか被害者なのかもわからない。そんな状況に直面する石川一登という役は、めちゃめちゃ難しいなと感じましたが、だからこそやる価値はある……いや、やらなければならないのだ、と背中を押されました。
石田ゆり子(以下、石田):わたしも脚本に魅了され、一方で「こんなにも重たい話をどうしよう……」と躊躇もしたんですけど、何より堤さんとご一緒したかったというのはすごくありましたね。あと、堤幸彦監督とは『悼む人』(2014)以来で、再び声をかけてくださったのもうれしかったですし。演じるのは絶対にキツい作品になるだろうけれども、妻であり母親役の貴代美さんに挑んでみよう。そう思ったんです。
Q:脚本を手がけたのは奥寺佐渡子さん。石田さんはテレビドラマ「夜行観覧車」(2013)で奥寺脚本を経験されていますね。
石田:シリアスであっても、詩的な空気感が素敵なシナリオを書かれる方。でも今回は、事件が起きても淡々とした時間が流れてゆく。ドキュメンタリーみたいで、きっと現実ってこうなんだろうなと想像させられました。
堤:僕は自分の家族、子どものことなどを考えざるを得なかったですよ。他人事にはできなくて。
石田:そうですね……傍観者のままではいられない。
当たり前だった日々のありがたさを思い知る
Q:事件を通じて家族、とりわけ夫婦間の考え方のズレが浮き彫りになっていきます。どのように役にアプローチされましたか?
石田:想像してもし切れないので、もしこういう事態に追い込まれた時、一体どうリアクションするのかと現場でシーンごとに、貴代美さんへ自分自身を投じていました。ですから、ほぼ順番に撮影してくださったのはとてもありがたかったです。
堤:僕としては一登は、激しい感情をぶつけるようなイメージだったんですけど、石田さんと芝居を合わせているうちに、逆に一つ一つの感情をあまり粒立てないようになっていきました。その方がむしろ、かすかな温度差で夫婦の価値観の違いが明確に出るのでは、と気付いたんですね。
Q:一登は建築デザイナーで、その美意識で統一された石川家の「家」は映画をシンボリックに彩っています。
堤:あの整然とした「家」は揺るぎない幸せの象徴で、それを彼は守りたかったんだと思う。石川家は、社会的な地位も生活もそこそこのレベルで、今まで順風満帆に来ている。だから反抗期の息子がちょっと外泊しても、まあ高校生だし、自分にもそういう時期があったからと、一登は事を荒立てずに見過ごした。もっとガシャガシャとした家ならば、体裁を気にせずに波風を立てていた可能性もあったことでしょう。
石田:この映画には、失ってみて改めてわかる、普段は目に見えない大切なことがたくさん映っています。例えば、当たり前だった日々がどれだけありがたかったか。コロナ禍の今もそうですけど、揺るぎなかった石川家はそれを、身をもって痛感するんです。
撮影前に石川家を疑似体験
Q:石田さんは2度目の堤組で、監督の演出は変わりありませんでしたか?
石田:そうでしたね。役者のことを信用してくださっていて、明らかに違う時はポソッとおっしゃるけれど、基本的にあまり多くを語らないんです。
堤:僕は初めてだったのですが、『トリック』シリーズ(2000~2014)とかのギミックたっぷりな作風のイメージがやっぱり強くて、もしかしたら今回も面白いシーンを作ってくれるのかなと期待してしまいました(笑)。
石田:(笑)。堤監督、いろんなタイプの作品を撮られますよね。
堤:撮影に入る前に一度、“石川家”と監督とで食事をした時があったじゃないですか。
石田:あっ、(長女役の清原)果耶ちゃんだけ都合がつかなかったけれど。
堤:そう。僕と石田さんと岡田(健史)くんとで事前に、堤監督とざっくばらんな世間話ができたのがすごく良かった。あれがあるのとないのとでは現場が全然違ったと思う。
Q:その撮影現場での様子なども、ぜひ聞かせてください。
石田:カメラを担当されたのが『悼む人』に続いて相馬大輔さんで、スタッフも和気あいあい、堤組はチーム全体がとっても仲がいいなあって再確認しました。
堤:相馬さんとは僕、『決算!忠臣蔵』(2019)でご一緒しましたよ。
石田:やりやすいですよね。この映画、相馬さんのカメラの力も大きいです。
堤:あまりfix(固定カメラ)では撮らないでしょ。僕らが作っていく芝居を探りながら回してくれると、「画角に収まらなきゃ」という意識がなくなり、役者の自由度が増すんです。
日本社会のダークサイドも見えてくる
Q:劇中、「どこ逃げてるんだろうな」という一登の言葉に対し、台所に立ちながら「望みはあるわよ」と貴代美がつぶやく場面がありますが、あのあたりから一層映画が動いていきます。
石田:貴代美さんは、そこから肝が据わるというのか、強くなっていくんですね。それはもう一縷の望みに向かって、息子を一切疑わない、その望みを信じる気持ちに切り替わっていく。まあ、いざとなったら女はたくましいですよ。一概には言えないけれども、でもそれは堤監督も描きたかったんじゃないかなと思います。男の人はやっぱり、社会的なしがらみに囚われ、あれこれと考えてしまうじゃないですか。
堤:うん、男は確かに弱いんですよ。一登は世間体を鑑みて、息子が犯罪者、加害者だったら困るし、被害者だとしても無実であってほしいと願う。その気持ちは僕も決してわからなくはない。そういう男と女の違いと、もう一つ、この映画は家族の話にとどまらず、日本の社会の実相も描いている。何か凶悪犯罪が起きると、生い立ちや環境、育て方などに原因を求め過ぎて、時に親に対し、理不尽なまでの制裁を世間一般は加える。一登と貴代美もそれに苦しめられるのですが、連綿と続いている日本人の悪しきDNAかもしれない。そういう面は悲しいかな、僕の中にもありますから。
Q:誰もが持っているダークサイドですね。
堤:できれば、石田さんのダークサイドも見てみたいですよ。いや、ないか。
石田:ありますよ! でも何だろう、わたしのダークサイド……劇中の貴代美さんはたとえ息子が加害者であったとしても庇う。とにかく命だけはあってほしいと願い続ける。わたしは子どもがいないので100%想像なんですけど、それが母性なんだろうと思いますね。貴代美さんの気持ちがよくわかるし、失踪している理由も、無理筋でも別の可能性を探ります。
堤:ああ~、どこかで息子が記憶喪失になっているとかね。
石田:そうそう。そんなふうに無実を信じたいのが母親ではないかと。ですから「自分だったらどうする」と考えながら、この映画を観てくださるといいなって。
写真撮影の時、カメラマンがアップテンポな音楽に合わせ、「踊ってみてください」と意表を突くオーダーを出した。映画の内実とは違うトーンで、明るく軽くスウィングする堤真一と石田ゆり子。が、劇中でも2人は踊っている。ステップが乱れ、崖っぷちに追い込まれながらも必死のスウィング(=共振)を見せているのだ。それが胸にグッと迫る、入魂の作である。
映画『望み』は10月9日より全国公開