『すばらしき世界』役所広司 単独インタビュー
どう演じればいいのか相当悩んだ
取材・文:轟夕起夫 写真:日吉永遠
『ゆれる』『永い言い訳』などの西川美和監督が、新作『すばらしき世界』で名優・役所広司との念願のタッグを実現。直木賞作家・佐木隆三の「身分帳」をベースにしたもので、長編としては初めての原案の映画化に取り組み、作品はすでに第56回シカゴ国際映画祭で観客賞と最優秀演技賞(役所広司)の2冠を達成している。実在の人物をモデルに、かつて殺人を犯した男の更生への道のりをおかしみと悲哀をにじませて描いた本作について、「役づくりで相当悩んだ」という役所が、その険しい過程を語った。
役づくりのため旭川刑務所へ
Q:原案は1990年に刊行された「身分帳」ですが、脚本が届く前に読まれていたそうですね。その感想は?
小説では僕が演じることになる主人公のことが、あまり好きになれませんでした。ノンフィクション・ノベルですので基本、事実を書き連ねているわけです。果たして、映画のお客さんはこの男のどこに共感し、2時間あまりついてきてくれるのかなと思ったんですね。出入りを繰り返しながら、人生の大半を獄中で過ごしたほど波瀾万丈な人生なんですけど、彼は直情型で、そして調子がよく、反省の色が見えない。その分、これに西川監督が手を入れたらどうなるんだろうという楽しみもあって、実際、完成した脚本は監督の愛情が注がれた結果、人物像が違うものになっていました。
Q:どこが違っていたのでしょうか。
まわりの人との接触が増え、人々との関係の中でこの男の欠点を含めた魅力が浮き彫りになっていましたね。それでも演じるにあたっては、どうアプローチすればいいのか、相当悩みました。社会復帰に向けて、本来彼が持っているいい加減さ、ちゃらんぽらんさを出そうとしたら、監督は「もっと真摯に、真剣に」と。それで少しずつ目指している方向、ニュアンスへと修正していきました。小説には捉われないようにしようと思いました。
Q:減量をされ、事前にかなり役への準備をされたとか。
そうですね、三上が刑務所で覚えたミシンの練習もしました。あと、監督と一緒に旭川刑務所へ見学に行ったり。でも現在の旭川刑務所はちょっとしたホテルみたいに綺麗になっているんですよ。冷暖房完備で。僕は以前、今村昌平監督の『うなぎ』(1997)で刑務所内の歩き方を習いに行きましたけど、受刑者たちは手と足を大きく振って歩いていました。「今はそうしません」と教えていただいたのですが、三上の場合、ベテランだから昔通りにやりました(笑)。
三上の特異なキャラクター
Q:三上は実直で情に厚い男ですが、キレたら怖いですよね。
殺人罪で捕まった時は、相手が同じヤクザ者ではあったものの、日本刀で十何回も刺しているんですよね。これだけのことをしでかしてしまうというのは、育ってきた環境だけではなく、「元来、こういう行為ができる人間だったのでは」と思わされる。ちょっとヘンな言い方ですが、そのあたりが組に就職する人としない人の差というか。
Q:三上は前者なのですね。
やらなきゃやられる世界ですから。金属バットで人の頭を思い切り殴れる人と、殴れない人とでは(ヤクザの社会で)おのずと“出世コース”が違う。そんな男が出所後、一般社会に馴染もうとして、もがくのがこの映画の面白さです。
Q:主人公の「七転八倒の一つ一つが、冒険小説を読むように新鮮」と、西川監督は文庫新装版「身分帳」の書き下ろし解説に記しています。
最終前科から13年間服役していて、ほとんど浦島太郎状態でシャバに出る。バスに乗って、「俺はもう、極道じゃなか。今度ばっかりは、カタギぞ」と己に向かって呟きますが、自分の体力の衰えもひしひしと感じているんですよね。ただ、生き別れた母親のことが彼の再出発の大きなモチベーションになっている。小説にもありましたけど、受刑者が短歌や俳句を書くと、たいていが母親のことなんだそうです。父親は思い出さないんですよね。
尾を引く「西川映画」
Q:ところで、役所さんが西川監督の映画を初めてご覧になったのは、『ゆれる』(2006)だそうで。
ええ。まずその存在を、カンヌ国際映画祭に行って知ったんです。僕はアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の『バべル』(2006)で参加していたのですが、『ゆれる』は監督週間に出品されていた。ホテルのロビーにあった映画祭のパンフで若い女性が監督だと知り、帰国してから拝見したら打ちのめされました。
Q:どんながところが琴線に触れましたか?
今もそうですが、落ちついた作りで、登場人物を、そしてその関係の綾を丁寧に描き、なんとなく文学的な要素もあって心に残る……。尾を引く映画を撮られますよね。
Q:これまで、役所さんと接点がなかったのが意外です。
『夢売るふたり』(2012)と『永い言い訳』(2016)に、配給会社の依頼で感想コメントを書かせてもらったくらいでした。最初の時に西川監督からお礼のお手紙とエッセイ集(「映画にまつわるXについて」)をいただいて、そこに西川さんの回想がつづってあったんです。僕が30代の頃にタイトルロールを演じたテレビドラマ「実録犯罪史シリーズ 恐怖の二十四時間 連続殺人鬼 西口彰の最期」(1991)を17歳で観て心を動かされたと。それを読んで以来、実は早くオファーしてくれないかなあと思い続けていました。
胸にグサッとくる三上の言葉
Q:多士済々(たしせいせい)な共演者の中で、俗っぽい好奇心で三上にすり寄っていくテレビマン、津乃田役の仲野太賀さんがとりわけ光っています!
彼は監督に「出番ではなくても現場で三上がどんなシーンを撮っているか、役づくりの一環で見学してみたら?」とアドバイスされたそうで、よく来てましたよ。いい役者です。塩梅がいい芝居をするんです。今、彼は仕事が面白くてしょうがない年代だろうなあ。
Q:ビデオカメラで撮影していた津乃田が、イキッた若者二人をシメる三上を目の当たりにし、怖くなって逃げ出すシーンも最高です。
同行していたテレビプロデューサー(長澤まさみ)に追いかけられ、「撮らないんなら喧嘩を止めろ。止めないのなら、撮って人に伝えろ」と怒られるんですよね。のちに津乃田と三上が電話で諍いになり、三上が「善良な市民がリンチにおうとっても見逃すのがご立派な人生ですか」と言う。その言葉は本当に身につまされるというか、胸にグサッときます。
Q:「まっとうに生きる」とは何だろう、と考えさせられますね……。
やっと就職が決まった三上のささやかなお祝いの場で、これまで見守ってくれていた身元引受人役の橋爪功さん、梶芽衣子さん、六角精児さんらが「ムカッときても、受け流すんだ」とか「逃げるのは敗北ではない」と諭す。そこで三上が「もう皆さんの顔に泥を塗るようなことだけは致しません」と力強く誓った時、津乃田が横で、神妙な面持ちをして見ているじゃないですか。それは「この人、大丈夫かな」ではなく、三上の(人間として)本当に素敵なところ、美しい部分をこんな風にしてなくしていってもいいんだろうか、と訝しがっているように僕には見えたんですよ。
Q:うーん、深いですねえ! では改めて、この『すばらしき世界』というタイトルをどう受け止めていらっしゃいますか?
タイトルは監督が悩まれた末に、クランクインし、しばらく経って、撮影中に決まったんです。ほ~、なるほど、大胆だなあと思ったのと、お客さんは見終わったあとに、どう感じられるのかなと。僕自身、このタイトルを通じていろんなことを反芻しましたから。
三上は、不幸な家庭環境ではあったが、自己責任、自業自得で社会のレールから外れてしまった男だ。そんな輩が再び社会に戻ろうとし、立ち往生しても所詮、観客には他人事である。ところが役所広司が演じると(西川監督の演出ワザもあるが)、いつしか共感を覚え、彼にエールを送りたくなってくるのだ。それはもう、見事な“役所マジック”としか言いようがない。
(C) 佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
映画『すばらしき世界』は2月11日より全国公開