『明日の食卓』菅野美穂 単独インタビュー
運命的なタイミングで出会った作品
取材・文:遠藤薫 写真:中村嘉昭
『64-ロクヨン-前編/後編』や『糸』などの瀬々敬久監督が、椰月美智子の同名小説を映画化した『明日の食卓』。わずか10歳にして母親から命を奪われた「石橋ユウ」。彼と同じ名前、同い年の息子を持つ3人の母親を、菅野美穂、高畑充希、尾野真千子が熱演している。懸命に育児に奮闘していたはずの彼女らのうち、誰が「ユウ」を手にかけたのか? 『ジーン・ワルツ』以来、約10年ぶりの映画単独主演となり、自身も育児の真っただ中にいるという菅野美穂が、「運命的なタイミング」を感じながら演じた主人公について語った。
育児は頑張れば頑張るほどつらくなる
Q:菅野さんが演じられた留美子は40代で、神奈川県在住。2人の息子を育てつつフリーライターとして復帰しようとする役どころですが、オファーがあった際には、率直にどのように思われましたか。
ちょうど下の子が1歳になって、これからどういう風にお仕事をやっていこうかとぼんやり考え始めた頃でもあったので、「これは運命的なタイミングだな」と思いました。育児って頑張れば頑張るほどつらくなるというか、袋小路に迷い込む感じなんです。原作、脚本共に読ませていただいて、その感じがすごくよく描かれていましたし、3人それぞれのお母さんに共感できるところがたくさんありました。
Q:本作には留美子のほか、大阪でアルバイトを掛け持ちしながら10歳の息子・勇を育てる30歳のシングルマザー・加奈(高畑充希)、静岡でサラリーマンの夫と10歳の息子・優と共に何不自由なく暮らす36歳のあすみ(尾野真千子)と三者三様の母親が登場しますが、一番共感した母親像は?
わたしの理想の親子は、高畑さんが演じられた加奈と勇です。互いを思いやりながらそれぞれ頑張る親子関係はとてもいいなと思うけど、実際はなかなかそうはいかない。演じ甲斐があるのは、尾野さんのあすみだとも思いました。むしろわたしが演じさせていただいた留美子は自分の日常にすごく近い感じがして、最初は嫌だなと思ったんです(苦笑)。
Q:この中で2人の子供を持っているのは留美子だけですね。
しかも2人とも男の子ですからね。わたしのママ友にも男の子2人の方はいらっしゃいますが、一男一女の自分とは比べものにならないくらい大変そうで! 子供を育てるってこんなに大変なことなのに、出来て当たり前の空気があるというか……。自分としてはそう感じてしまうほどリアルだなぁと思いました。
昔は役とプライベートは切り離していたけれど
Q:留美子の夫(和田聰宏)もそうですが、劇中登場する男性陣にはたびたびイライラさせられました(笑)。
(笑)。今は時代も変わってきて、男性も積極的に関わってくれていると思いますが、母親が腹を括って向き合わねばならないときもやっぱりあると思うんです。それは自分が思っていた「良き母」のイメージとは違ったりもして……。留美子もそうですが、まるで般若のように角を生やしてでも子供と向き合わないといけないときもある。「こんなに怒りたくないな」と思っても、そこまでしないと親の伝えたいことを感じ取ってくれない部分もあるのかなぁと。
Q:菅野さんご自身、実際に想像していた育児とはかなり違ったのでしょうか。
子供を産むときに「どんなことでも乗り越えてみせる!」と覚悟したつもりでしたが、想像を軽く超えていました(笑)。でも命を育むことって、自分の見せたい自分では終われないとも思います。
Q:ご自身とリンクが多い留美子ですが、だからこそいつもと違った苦労などはありましたか。
演じているときは、どう演じるのかといったことはあまり考えないようにしていました。ただ、かつてのわたしは「役は役、自分は自分」と割り切って、お仕事に向き合っていたけれど、今は「役と自分は違います」と言うのは自分にとっては、かっこつけな気がするんですよね。いろんなことが同時進行で、交通事故みたいにぶつかっている混乱の中で浮かび上がるものが、これまでにない演技に繋がっていけたらいいなと。(母になることで)演じ手として何か大きく変わるのかなと思っていたら、意外と変わらなくてがっかりもしているんですが(笑)、それでもこのタイミングでこの作品に出会えたのは運命的だと思っています。
こらえきれず涙を流す子役
Q:留美子の子供を演じた子役のお二人との共演はいかがでしたか。
演技と本当の自分との境目がなくて、ただ今の気持ちで涙を流したりしているのを見ると、すごいな! って。大人として感動するし、これがベストな演技の形なんだなとも思いました。彼らは本当にわたしのことが怖かったんじゃないかな……。カットがかかった後にこらえきれずに涙がこぼれていることもあったので。
Q:自宅マンションでのクライマックスは正視できないほどの迫力でしたが、瀬々監督はどのような演出を行ったのでしょうか。
監督は子役の方たちの「ここだ!」というタイミングを、絶対に逃さずうまく引き出していらっしゃったと思います。あのシーンは一つずつじっくり撮影していった記憶がありますし、監督が台本に加筆したシーンも多かったんじゃないかな。留美子が帰ってきたら部屋がめちゃくちゃになっているというのも監督のアイデアでしたし、留美子が追い詰められていく心情がより伝わりやすいように描いてくださいました。
Q:瀬々監督とは初タッグとなりますが、どのようなお話をされましたか。
打ち合わせで最初に監督にお会いしたときが、ちょうどステイホーム期間の後だったんです。大人と話すことが久しぶりだったこともあって、わたしが一方的にしゃべり過ぎちゃったんですね。そのときは監督もたくさんお話してくださったので多弁な方なんだと思っていたのですが、撮影現場ではとても寡黙だったので、わたしに合わせてくださったんだなと(笑)。
Q:では撮影現場ではあまりお話にはならなかった?
確かに言葉数は少ないのですが、だからこそ「良かったです」の一言にすごく重みがあったり、「ここはもう少しこうしてください」と言われると、あ、何か意味があるんだろうなと思えてスッとそっち側に引っ張ってもらえるような感覚がありました。あと本当にお芝居が好きな方なんだろうなぁというのは、常に感じていました。
共に母親を演じた2人の女優へ
Q:母親役の高畑さん、尾野さんとは共演シーンがありませんが、完成作をご覧になって感じたことを教えて下さい。
お二人とも振り切った素晴らしいお芝居をされていたので、「お疲れさまでした!」と心から伝えたいのと、「(作品について)どう思いました?」と尋ねたいですね。コロナ禍で打ち上げもなかったですし、なかなか直接お会いできないので、この記事を通してぜひ伝えたいです(笑)。この3つの家族の壮絶な日々をすべて受け止めた監督と撮影スタッフも、改めて大変だったろうなと思いました。
Q:原作と少し異なる結末も、深い余韻を残しますね。
かすかに明るい未来を予感させますよね。かといって、これから先の日常がただ明るいものだけではないだろうし、今日より明日の方がさらに(子供たちに)怒るかもしれないとも思います。それでも、育児はかけがえのないものだと思わせてくれるのは、瀬々監督がこの映画を優しさでくるんでくださったからなのかな、とも思います。明るい光が射す希望というよりは、かすかににおうような希望。同時に心の深いところをえぐられる感覚もある、力のある映画になったなと思います。
久々の映画主演作で女優としても人としても、強度を増した感のある菅野。“母になること=母親役をリアルに演じられること”という単純な図式が必ずしも当てはまるものでもないだろうが、本作が育児に悩み苦しむ母親たちへの強烈なエールになれば……という彼女の想いは痛いほど伝わってきた。「ママ友に“観てね!”とは言いづらいかなぁ」と笑いながらも、「だけど観てほしい。家族のあり方を問いかけてくれる作品です」と真摯に語る横顔は頼もしく輝いていた。
© 2021「明日の食卓」製作委員会
映画『明日の食卓』は5月28日より全国公開