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『アジアの天使』池松壮亮 単独インタビュー

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『アジアの天使』池松壮亮 単独インタビュー

言葉が通じないからこそ伝えられることがある

取材・文:柴田メグミ 写真:木川将史

最年少で日本アカデミー賞最優秀監督賞に輝いた『舟を編む』(2013)の石井裕也監督が、コロナ禍直前にオール韓国ロケを敢行した、日韓二つの家族のロードムービー『アジアの天使』。妻を亡くし、幼い息子とともにソウルへ渡る小説家の主人公・青木剛にふんしたのは、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017)、『ぼくたちの家族』(2014)など、石井作品には欠かせない顔の池松壮亮だ。今年デビュー20年を迎えた彼が、同志・石井監督や映画への思いを明かした。

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池松壮亮は石井裕也監督のアバター!?

池松壮亮

Q:石井監督とはこれまで度々組まれていますが、今回はどのタイミングでお話があったのでしょう?

2017年頃だったと思います。僕が『宮本から君へ』という作品(2019年公開、ドラマは2018年放送)で悪戦苦闘している最中に、今日はゆっくり休もうと石井さんと飲みました。今回のプロデューサーを務めたパク・ジョンボムさんと石井さんと、僕と日本側のプロデューサーの永井(拓郎)さんとは、ずっと4人の交流がありました。まず2014年の釜山国際映画祭の短編部門の審査員として、石井さんとパクさんが出会い、その後、紹介されて。大体1年に1回、日本や韓国で会って、映画や互いの人生観や社会の話をすることを数年、繰り返していました。

Q:石井監督から誘われて、韓国へロケハンにも行かれたそうね。

一週間くらいさんざん周って、ほぼ決まらなかったんですけど(笑)。

Q:(笑)。監督とただ韓国を旅した、みたいな?

石井さんとは仕事という意味合いを超えてかなり近しく、特別な関係性があります。それだけ長いこと付き合ってきたということもありますが、旅に出ることもこれまでたくさんありました。例えばベルリン(国際)映画祭へ行って、そのあとポーランドを旅しました。海外で言うとエジプトにも一緒に行きました。ここ10年は国内国外、いろいろ旅に出てきました。今回はその旅の先に映画を撮ったという感覚があります。

Q:監督は今回、池松さんに「俺のアバターを担ってもらった」とおっしゃっていますが、一緒に旅することで役づくりをしているような一面も?

撮影中は言われていませんし、そのことを直接的に押し付けるような方ではないので、終わったあとに聞きました。それだけ石井さん自身の生い立ちや原点に立ち返らざるを得ない企画であったということは理解しています。演出としては俳優の生理と違うものを求めるのではなく、俳優がより能動的に、内から出た何かを欲してくれる監督です。石井さんが何を感じるのか、僕が何を感じるのかということを多分、一緒に見たいと誘ってくれたんだと思います。出会ってほぼ10年、互いに表現者としてそうやって対話を続けてきました。石井映画にとって新しい挑戦でもあるし、原点回帰でもありました。集大成でもあるし、新しい一歩でもある。いろんな要素が含まれていたなと思います。

誰かが誰かの天使になる

池松壮亮

Q:劇中「いつでも必要なのは相互理解だ」と自分に言い聞かせている剛は、池松さんから見てどんな人間ですか。

これまで演じた役柄の中でも、とてもお気に入りです。お金はないし小説家としては鳴かず飛ばずですが、世界への疑問に首を傾げ続ける強さがありました。そして人を見つめ続けること、人とコネクトすることを絶対に諦めない強い意志と、過去を丸ごと抱きしめて今を認めたいという優しさがありました。アジアの天使は剛なのかもしれないし、あるいは兄貴(オダギリジョー)でもあるし、息子(佐藤凌)でもあります。韓国側の家族にも同じことが言えます。愛をもって誰かが誰かの救済に向かうこと、そこに天使は舞い降ります。そして何か聖なるものに見守られているような感覚を忘れないよう努めていました。分断やさまざまな違いや互いの痛みを背負って、一つになることが重要でした。

Q:分断と言えば、日韓関係が戦後最悪と言われているなかでの撮影でしたよね。

そのことに関して韓国側のキャスト・スタッフには感謝してもしきれません。日本よりもよりシビアな世界でした。今回は日本発案ということもあり、その微妙な加減にリスクが多々あったと思います。クルーが決まっても降りてしまうということを繰り返しました。そんな状況下で自分たちを受け入れて愛情を注いでくれた、あの現場を共に過ごしたキャスト・スタッフに心から感謝しています。国籍関係なく対人というレベルでは、揉めごともたくさん起こりました(笑)。それでも海を越えて、言葉や文化やさまざまな違いを超えて、同じ物語を信じ、一緒にご飯を食べて、ビールを飲んで笑い合い、一つの作品を作り上げた日々はかけがえのないものでした。

Q:釜山国際映画祭での池松さん、オダギリジョーさん、チェ・ヒソさんのイベント動画(オンライントーク)を拝見し、楽しい撮影現場という印象を受けていたのですが、実際にはどうでしたか。

たくさんの思い出があります。互いにリスクを冒して、互いの培ってきた価値観を解体し、それでも繋がることを諦めなかった先には、あまりにも自由で純粋で、優しい景色がありました。みんなでたくさんご飯を食べて、ビールを飲んで、笑って、喧嘩して、花火をしたり抱き合ったり踊ったり、まるで人生のフラッシュバックのような忙しい日々でしたね(笑)。

相手のことを知らなければ大変なぶん自由になる

池松壮亮

Q:劇中のセリフにある、「言葉が通じないからこそ話せることもある」ような出来事を、撮影中に体験することはありましたか。

ありました。例えば一番わかりやすいところで言うと、日本人の性質として「愛してる」と言うことは、どこか照れてしまうけれど、「サランヘヨ(「愛しています」を意味する韓国語)」なら言えてしまったりする。言葉が伝わらないからこそ、いつも以上に伝えることや届けることが必要でもあります。そして伝わらないからこそ、より本音で言葉が出てきたりする。人間が普段、どれだけ文化や言葉、誰かが作ったルールや価値観に囚われているのか、身をもって体験してきました。宗教上の問題もそうですし、あらゆる分断が起こるなかで、「自分の思うように生きていいんだ、傷だらけでも自由なんだ」というメッセージは、今この世界においてあまりにも必要で力のあるものだと思っています。そして、それがコロナ以降の困難を乗り越えるための再生だと思っています。

Q:95%以上のスタッフ・キャストが韓国人チームの撮影現場で、池松さんが超えたものは何でしょう?

感覚的な言い方になってしまいますが、表現者である以上は、結局撮影前の自分自身なんだと思います。もちろん人に見てもらう意義や価値を感じられた映画だからこそ超えられたんですが。今回はとにかくゼロから、自分の思いを共有しようと努めましたし、何かを諦めないこと、それは映画なのか、世の中なのか、人と人生を共にすることなのか、いろいろありますが、真面目に答えるとそんな感じです。

デビューから20年、池松壮亮の原動力

池松壮亮

Q:デビューから今年で20年。当初はこの仕事にあまり積極的ではなかったようですが、常に第一線で、キャリアを築かれている。前に進み続けるその原動力はなんでしょう?

難しいですね。一つは何より幸運だったこと。自分自身だけではここまで切り拓いてこられるほどの力はそもそもありません。もう一つは、性に合っていたんじゃないかと思います。映画や表現、創作活動や、それに見て触れることは、ある意味、己の人生においての知的探求でもあります。つまり生きる理由や道標になるんですね。この仕事に出会えたからこそ、自分の人生の問いのようなもの一つ一つに、向き合うことができたのかもしれません。感じたこと、思ったことを表現に変えていかなければ立ち止まってしまうような病的な人間とも言えます(笑)。面白くて不思議で、おかしな仕事だと思います。そして、まだまだ映画というものの可能性を信じられているからこそ、そのことが原動力になっているように思います。映画一つで世界を変えられるとは微塵も思っていませんし、いつかは忘れられるものだとも思っていますが、それでもまだ大きな力を秘めていると思っています。


池松壮亮

そうそうたる映画人からも信頼が厚い確かな演技力に加え、『宮本から君へ』の役づくりでは前歯を抜こうか本気で迷い、周りに止められたというほど、作品に対する献身ぶりも際立つ池松壮亮。今作では監督のアバターとして、剛の痛みや、守りたいものがある人間の強さをまざまざと見せつける。韓国で「映画が最高峰との認識」や「映画制作に対するプライドと喜び」の大きさを肌で感じ「映画の未来を見た」と語る彼が、日本映画界に何をもたらしていくのか。楽しみは尽きない。

©2021 The Asian Angel Film Partners

映画『アジアの天使』は7月2日より全国公開

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