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『アーヤと魔女』宮崎吾朗監督 単独インタビュー

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『アーヤと魔女』宮崎吾朗監督 単独インタビュー

ジブリ初の全編3DCGで挑む表現

取材・文:斉藤博昭 写真:高野広美

スタジオジブリ最新作として劇場公開される『アーヤと魔女』は、『ゲド戦記』『コクリコ坂から』に続き、宮崎吾朗が監督を務めた。『ハウルの動く城』と同じダイアナ・ウィン・ジョーンズの児童文学を原作にした本作。10歳まで「子どもの家」で育ったアーヤが、魔女だと名乗るベラ・ヤーガと、謎めいた男マンドレークの家に引き取られ、魔法の手伝いをする物語が展開していく。監督を任された経緯から、ジブリとして初の全編3DCG作品へのチャレンジ、そして映画ならではのアレンジについて、宮崎監督が語った。

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原作をポンと渡されて…

宮崎吾朗監督

Q:『アーヤと魔女』の企画がどのように動き出したのか、最初のきっかけを教えてください。

かつてはスタジオジブリも時間をかけて企画会議で決めたりしましたけど、最近のパターンとして、鈴木(敏夫)プロデューサーから「宮さん(宮﨑駿)がいい本があるって言ってるんだけど、やる?」って本をポンと渡されるんです。それで読んでみて何も感じなければそのままにしておきますし、作品になると感じたら「やりましょう」と返事をするわけです。

Q:では『アーヤと魔女』は、監督が原作を気に入った、というわけですね。

実は以前から、3DCGで制作する作品を構想していたんです。そんな時に『アーヤと魔女』を読み、もちろん物語自体にも惹かれましたが、CGにふさわしい作品という感触がありました。

Q:スタジオジブリとして初のCG長編という試みです。なぜ『アーヤと魔女』がふさわしいと?

手描きのアニメーションでも最終的にはコンピューターを使っていますが、今回はCG制作の仕組みから作り、協力会社を探し、容量の大きなサーバーをレンタルするなど、すべてゼロからのスタートでした。いろいろと制作の制限も予想されたので、題材として限られた中で最大限出来るテーマを扱うようにしたのです。その点、登場人物も限定的で、しかも主な舞台が家の中という『アーヤと魔女』は、最適だと判断しました。

Q:ジブリ作品のイメージを大きく変えるリスクを感じたりはしませんでしたか?

“ジブリらしさ”を期待されてしまうのは、覚悟していましたよね(笑)。そもそも3DCGといってもフォトリアルな方向は目指していなかったので、風景の捉え方にしても手描きの風合いを忘れないとか、結果的に“ジブリらしさ” は入っていたんじゃないかと思います。

Q:ストップモーションアニメのようなアナログ感もありますよね。

ちょうど制作が始まった頃、『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』が日本で公開されたんです。制作のスタジオライカのスタッフがジブリに遊びに来てくれて、『KUBO』の撮影で使った人形(パペット)を見せてくれました。ストップモーションアニメの髪の毛のデフォルメ感など、ずいぶん参考になりましたね。

自作の絵がエンドクレジットに

宮崎吾朗監督

Q:『アーヤと魔女』の原作は、日本で佐竹美保さんの挿絵とともに多くの人に親しまれています。その挿絵を基に今回もキャラクターデザインをされたのですか?

もともと宮﨑駿が佐竹さんの挿絵を気に入っていて「この感じでやればいいよ」と言っていました。キャラクターデザインは近藤勝也さんですが、原作を読んだ人が映像を観ても、また逆に、映像を観た人が原作を手にとっても、それぞれ地続きの感覚になれればいいかなと挿絵を参考にさせてもらいました。

Q:アーヤのキャラクターは、これまでのジブリ作品のヒロインと違う印象です。

原作を読む限り、あまり「いい子」じゃないですよね。でもそこが魅力的だったので、ジブリっぽく変えることは避けました。あくまでも原作を意識しました。

Q:エンドクレジットに出てくる絵は誰が描いているのですか?

僕が描きました。エンドクレジットまでCGで作る余裕がなかったので苦肉の策です。最初はすべて動かす予定で、絵は仮で入れていただけですが、そのまま使うことになりました。結果的に“口直し”じゃないですけど(笑)、いい効果になったと思ってます。

Q:基本的に原作どおりの展開ですが、映画オリジナルのエピソードも付け加えられています。監督のアイデアなのですか?

そうですね。あまりに原作に忠実だと限られた物語になるので、少し世界を膨らませたかったんです。そこで魔女ベラ・ヤーガとマンドレークの背景や、アーヤが「子どもの家」に預けられた理由、お母さんはどういう人だったのかを考えながら、物語を形成していきました。

バンド映画を、いつか作りたかった

宮崎吾朗監督

Q:一方で、ロックバンドの要素は原作との大きな違いです。

物語の背景を考えたとき、携帯電話、スマホがない時代と決めました。アーヤがベラ・ヤーガの家に閉じ込められても、外部とすぐに連絡がとれてしまうので、ギリギリ携帯が普及していないということで、メインの舞台を1990年代の半ばと想定しました。そこから逆算すると、アーヤが生まれたのが1980年代。そして彼女のお母さんが若かった時代は、1970年代前半になります。70年代のイギリスとなれば、ロック全盛ですよね。僕自身、その時代のロックが大好きというのもありましたし、しっとりと壮大なクラシックというより、ロックやポップスで元気に盛り上げる方が物語に適していると感じたのです。

Q:曲は映画用のオリジナルで、歌詞も監督が書かれているので、強い思いを感じました。

女の子たちがバンドを組んでロックを演奏する映画とかあるじゃないですか。ああいうのをやってみたかったんです(笑)。これまで手掛けた作品には、劇中で「歌う」というシーンはありましたが、バンドを描くのは初めてで、しかも3Dにはぴったりだと思い、試したわけです。

朝ドラきっかけのキャスティング

宮崎吾朗監督

Q:『アーヤと魔女』はキャスティングも絶妙でした。とくにマンドレーク役の豊川悦司さんはイメージとぴったりで驚きます。

ジブリの場合、高畑(勲)さんはプレスコ(声や音楽を先行して収録)を多用していましたが、宮﨑駿や僕はアフレコを選択しています。制作がある程度進んでから声優のキャストを決めるわけで、今回もそうでした。ちょうど制作中に(NHKの朝ドラ)「半分、青い。」が放映されていて、「豊川さんの髪型とキャラクターが、僕が今作っているマンドレークそのものだ」とシンクロしたんです(笑)。収録現場では、豊川さんや、(黒猫トーマス役の)濱田岳さんが、自分のセリフがない部分でもアドリブでしゃべっていたり、怪しげな吐息をもらしたりして雰囲気を作ったり、さすが役者さんという感じでしたね。

Q:一方でアーヤ役の平澤宏々路さんは、大抜擢という印象です。

収録時、彼女はまだ小学生でしたが、あまり「こうして、ああして」と演出した覚えがありません。それくらい脚本をよく読み込んで、ちゃんと準備してきてくれたんです。アプローチが的確だったので驚きましたよ。

Q:宮﨑駿さんは、どこまで制作に関わったのでしょう。

原作を勧めてくれたということで「企画」としてクレジットされていますが、脚本を書く前のディスカッションで、アーヤという女の子がどうやって人を操るのかを話しました(アーヤの名前の語源は「操る」)。操るとは、他人を「たぶらかす」ことなのか? それとも「たらしこむ」ことなのか? 魔法で誰かを自在にコントロールするのではなく、自分の力で相手をうまいこと動かすということではないのか。そんな話をした時期があります。その感覚が僕のほうでクリアできてからは、コンピューターでの作業ということもあって、ほとんど何も言われませんでしたね。

Q:『ゲド戦記』や『コクリコ坂から』の時からの変化は?

口を出さないでいてもらえた感じです。『アーヤと魔女』の前に、僕が「山賊の娘ローニャ」というテレビシリーズものを1本やりとげたので、ある意味、その危険があって初めて一人前なんだと認めてくれたところがあるんじゃないでしょうか。

Q:最終的に初の全編3DCG作品は、時間と労力の面で予想と違いましたか?

プロダクションが始まる段階で試行錯誤がありましたし、時間はかかりました。たとえば何かを手に持つシーンでも、手描きではアニメーターの力量でサッと描くことができても、CGではモデルを作るところから始めなくてはなりません。その都度、現場では細かいやりとりが必要でした。手描きの作業だと、根性とかパワーで克服できる部分があるんですけどね(笑)。


宮崎吾朗監督

『ゲド戦記』『コクリコ坂から』と取材をしてきて、巨匠のような落ち着きも感じさせるようになった宮崎吾朗監督。言葉のひとつひとつにも真摯(しんし)な思いが詰まっている印象で、『アーヤと魔女』に対する自信と愛が感じられた。米アカデミー賞ノミネートの声も上がっていたが、「まぁ無理だと思ってましたから」とサラリと打ち明ける表情も、あくまで自然体。しかし「撮影される」側には今も慣れていないようで、写真撮影では照れくさそうな笑みを浮かべていた。

© 2020 NHK, NEP, Studio Ghibli

映画『アーヤと魔女』は全国公開中

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