シネコン主流時代とは一味違う!古き良き映画文化“映画看板”の魅力
茨城県水戸で映画看板絵師として約60年間活躍してきた大下武夫さんの自宅で、1960年代からの手書き映画看板の写真が保管されていたことがわかった。(取材・文:中山治美)
かつての映画看板は巨大だったこともあり興行が終われば処分され、長期保管されているものは少ないと思われるが、写真に残された凝った映画看板からは、今のシネコン主流時代とは一味違う、古き良き映画文化が見えてくる。
今回、見つかった最も古い写真は、青森出身の大下さんが、三沢市で働いていた1961年頃のもの。『GIブルース』(1960)のエルヴィス・プレスリー、『アラスカ魂』(1960)のジョン・ウェイン、『六年目の疑惑』(1961)のゲイリー・クーパーといったスター俳優をフィーチャーした“切り出し看板”が目を惹く。
当時、カメラは庶民にとって高嶺の花で、大下さんはもちろん持っていなかった。しかし三沢といえば三沢空軍基地があり、駐留していた米兵向けの映画が良く上映され、看板をカメラに収めてはプリントし、大下さんの元に届けてくれる米兵がいたという。手元にあるのはモノクロだけだが、のちにカラーに。大下さんは「その時、カラー写真というものを初めて見た」と、感激と共に記憶しているようだ。
その後、水戸に移住した大下さんは、水戸東映の専属絵師となった。『関東やくざ者』と『続網走番外地』(共に1965)の2本立て興行を告げる看板の脇に、どんと切り出された鶴田浩二と高倉健の姿は、当時の東映の勢いを感じさせてくれるようだ。
1968年に独立してからは、当時11館あった市内の映画館全ての看板を手がけていていた。腕の見せどころだったのは、70mmフィルムも上映できた市内最大級の京王プラザ劇場の仕事だった。大通りから少し入った所に建っていたこともあり、通りの入り口には観客を誘うようにジョン・トラボルタやメル・ギブソンの顔が鎮座していた。
力作は、巨大タコが米国の西海岸を襲うパニック映画『テンタクルズ』(1977)公開時に劇場に這わせたタコ。ベニヤ板を何枚か組み合わせて劇中の巨大タコを再現し、夜になると吸盤に仕込んだ電球が光る凝ったもの。あまりの出来栄えの良さに、上映終了後は他の劇場でも使用されたという。
また残念ながら写真は残っていないが、『JAWS/ジョーズ』(1975)の時には劇場窓口に、同じくベニヤ板で作製したジョーズの顔を設置。観客は、口元のところからチケットを受け取るという遊び心溢れたものだったという。こちらは、「欲しい」という観客の元へ引き取られて行ったという。
大下さんは現在、映画看板を手がける合間に趣味で書き溜めていた石原裕次郎やオードリー・ヘプバーンなどスターの肖像画を集めた個展「スクリーンの仲間たち」を7月16日まで、茨城県水戸市の常陽史料館で開催中だ。展示の中には菅原文太主演『トラック野郎 故郷(ふるさと)特急便』(1979)の当時の看板もあり、当時を懐かしむ人も多いという。1作品の映画看板に労力と予算を注ぎ込めるのは、それだけ映画産業が隆盛を極め、庶民の娯楽の中心であったという証でもあるのだ。
「スクリーンの仲間たち」大下武夫作品展は7月16日まで茨城・水戸の常陽史料館で開催。
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