R・ポランスキー、訴訟に難色
ロマン・ポランスキー監督が、国外からアメリカの雑誌を訴えた。この雑誌は、ポランスキーが1969年のシャロン・テート事件で妻を殺された2日後に、女性を誘惑した、という記事を掲載。ポランスキーは、自宅のあるフランスから、名誉毀損訴訟の制約が少ないイギリスの法廷へ申し立てをした。ポランスキーは、1977年に13歳の少女をレイプした罪で有罪判決を受け、アメリカには入国できない。イギリスはアメリカに対し、国外逃亡者の引渡し協定を結んでいるため、ポランスキーはビデオを使ってイギリスの聴聞会へ出席しようとした。当初、フランスから証言することは可能とされていたが、イギリスの裁判所はこれを認めず、訴訟自体が困難な局面に立たされることになった。