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「親愛なるピョンヤン~」とタイトルつけたヤン・ヨンヒ監督独占インタビュー 

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アボジとの2ショットに笑顔のヤン監督
アボジとの2ショットに笑顔のヤン監督

 在日コリアンであるヤン・ヨンヒ監督が、自身の家族との対話を10年に渡って撮りつづけたドキュメンタリー『Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン』。朝鮮総連の活動に人生をささげ、娘とは思想の違いでぶつかりながらも優しくユーモラスなアボジ(父)の姿が多くの笑いと涙を誘い、ベルリン映画祭、サンダンス映画祭など多くの映画祭で高い評価を受けた本作の監督ヤン・ヨンヒに話を聞くことができた。

 10年以上に及ぶ制作過程の中、ヤン監督が感情的にもつらかった……と振り返るのは、撮影中に脳梗塞で倒れた父を介護しながらの編集作業だった。監督に、介護と両立しながらどのように編集が進められていったのかを聞いてみると、「120時間あったテープを編集の方と綿密な話し合いをしながら編集しました。脳梗塞で倒れ、うまく話すこともできなくなってしまった父を介護しているのに、テープの中には元気な父がいる。やはり感情的な気持ちになってしまい、作業ができなくなってしまったこともありましたね」と当時の過酷な状況を語った。

 北朝鮮の首都であるピョンヤンに「親愛なる……」という意味の「ディア」を加えた『Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン』というストレートなタイトル。このタイトルをつけた真意はなんだったのだろうか? 

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 「このタイトル、はじめはみんなに引かれたんですよ。でも皆さんけっこう慣れてくれたみたいで(笑)。ピョンヤンというと物騒なイメージがあります。でも私は作品、そして自分の家族を通して、“ピョンヤン”という町に住むひとびとの“顔”を知ってもらいたい。“ピョンヤン”と聞いたときに映画に登場するかわいらしい女の子の顔が浮かべてもらえればと思うんです」

 作品の中では陽気な父親だが、実はステテコでリラックスした姿を撮影できるまでは父と娘の壮絶な歴史があったという。

 「作品を撮り始めて5年……、1番話を聞きたかった人がそばにいたことに気付きました。それからはまさに父と私との根比べです(笑)。カメラを向けても口を閉ざす日々が3年続きましたが、3年たってようやくあんなリラックス姿を見せてくれたんですよ」

 20代までは父に反発していた娘にあるとき浮かんだ「なぜ?」という疑問。「父はどうして北朝鮮を選んだのか?」「どうして母は兄たちを北朝鮮に送ったのか?」そんな疑問が生まれてから、娘は食事も一緒にとらないほど避けていた父親を、カメラを持って追いまわすようになった。父との新たな関係を、小さなホームビデオが作ってくれた。

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 「この映画は、家族の物語です。北朝鮮についての映画でも、帰国事業についての映画でもありません。日本に住むひとつの家族の話です。夫婦漫才のような父と母の底抜けに明るい表情と、時代の波に翻弄(ほんろう)されるひとつの家族のなかにある、さまざまな人生を見つめてほしいんです。おのおのの人生の選択には、理由がありますから」

「海外でお父ちゃんは人気者やで」と話すと、いまだに「あいつら日本語わからんやんかー!」と言う父。「翻訳っちゅうもんがあんねん!って突っ込んでます」と笑いながら話すヤン監督は、誇らしげに輝いていた。

『Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン』は、渋谷シネ・ラ・セットにて公開中
『Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン』公式サイト
film.cheon.jp

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