医者を辞めて伝説的放浪サーファーになった85歳のドリアンを直撃!
伝説的サーファー、ドリアン“ドック”パスコウィッツの波乱の人生に迫ったドキュメンタリー映画『サーフワイズ』(原題)について、ドリアン本人に話を聞くことができた。
元々医者だったドリアンは不眠症と心配性に悩まされ続け、1956年に医者を辞めてサーファーに転職(?)。これだけならまだしも、何とドリアンは妻と9人の子どもを連れて、北米中を横断しながら家族全員とともにサーフィン生活を続けてきたのだ。このありえない人生を生き抜いてきたドリアンは現在、85歳。インタビューではドリアンの人生哲学を聞いてみた。
‐まずどういった発想からこの思い切った決断をしたのですか?
(ドリアン“ドック”パスコウィッツ)わたしは15歳のときから絶対に医者になるつもりでいたんだが、戦争中につらい体験をしてきたユダヤ人の母親や、学校の教授からは「お前は頭が悪いから医者にはなれないよ」と反対されていたんだ。それでもわたしは努力を重ねて、スタンフォード大学に通い、結局医者になってしまった。だが医者になった途端、自分の能力のなさに気付かされてね。しばらくするとお金を取って診察をしていることに対して苦痛さえ感じ始めていたんだ。そして最後には自分をだますことができなくなってしまって。だから医者を辞めてからの人生の選択は天職だと思っているよ。
‐子どもたちの教育は、すべてホームスクールなのですが、それは金銭的問題からですか、それともあなたの人生哲学によるものなのですか?
(ドリアン“ドック”パスコウィッツ)われわれはずっとあっちこっち旅行していたから、どこの場所でも長居はできなかった。子どもたちを1か月くらい学校に通わせてみたこともあったが、すぐに転校しなければならなかった。それに学校によっては進み具合が違って、子どもたちがまったく付いていけないということもあったし、逆に習ったことをもう一度やらされるなんてこともあった。それがホームスクールの始まりで、家……といってもキャンピングカーだが、そこではおもに朗読を中心にさせていた。しかし失敗したことが一つあった。それは数学や科学について子どもたちにまったく教えていなかったということなんだ。わたしの息子のモーゼがフットボールの推薦で高校に入れそうになったことがあったんだが、その推薦テストで受けた数学の大半を間違えたんだよ。彼には前もって中・高で教えるような数学を事前に教えていたんだが、残念ながら基本的な足し算や引き算が理解できていなかったんだ。あのときは本当に後悔したよ。
‐ホームスクールでの利点はなんでしたか?
(ドリアン“ドック”パスコウィッツ)わたしの子どもは、どんなときでも隅に座って泣いたり、悔やんだりすることはなかった。子どものときから指をくわえて見ていることなんかも決してなかったし。彼らには自分の人生をどうやって進むべきか考えさせる機会を常に与えていたと思うんだ。
‐あなた方の収入源の一つとなったサーフ・キャンプについて説明して下さい。
(ドリアン“ドック”パスコウィッツ)パスコウィッツ・サーフスクールと命名して、妻と始めたんだが、ユニークな教育で、サーフィンはもちろんのこと、人生の哲学的なことも教えていた。さらに健康やダイエットについても教育していたよ。食事なんかもシリアルと沢山のフルーツを一緒に食べさせたりしてね。現在は息子が経営しているんだ。
‐本作を観てどう思いましたか?
(ドリアン“ドック”パスコウィッツ)映画ではわたしの人生のスパイシーな部分が描かれているそうだね。対立やらけんかやらユートピアみたいな生活が扱われていたようだ。
‐えっ!? 本編をごらんになってないのですか?
(ドリアン“ドック”パスコウィッツ)当たり前だ。自分の人生を描いた映画を観るなんて考えられんよ!
自由奔放なアメリカでも、ドリアンの息子たちに対する教育法はしばしばバッシングされてきた。しかし、その息子たちも今ではサーフ・チャンピオンやプロデューサー、ミュージシャンなど、それぞれの分野で立派に活躍している。極貧生活を続けたこともあった彼ら家族だが、ドリアンのまねは決して誰にもできないだろうし、勧めることもできない人生設計だ。しかし、そんな彼だからこそ知りえた真理もある。ドリアンが本作を鑑賞する日は来るのだろうか。(取材・文:細木信宏)