ラダ・ミッチェルが南京を舞台にした新作映画を語る
映画『サイレントヒル』『ネバーランド』に出演したオーストラリア出身のラダ・ミッチェルが、新作映画『ザ・チルドレン・オブ・ハン・シー』(原題)について語ってくれた。
本作は、1937年の南京を舞台に若いイギリス人記者ジョージ・ホッグが、民間の戦闘集団たちとともに黄石に残っていた60人の孤児を助け出すべく、モンゴル国境を目指した実話を基に描かれたストーリーだ。戦闘集団のリーダーにチョウ・ユンファ、そのほかにミシェル・ヨーも出演し、ラダは看護婦を演じる。
‐映画『007/トゥモロー・ネバー・ダイ』で知られるロジャー・スポティスウッド監督の演出はいかがでしたか?
(ラダ・ミッチェル)彼は粘り強い性格で、追っかけているものは必ず手に入れる人間だわ。彼は世界中の国々から資金調達をしながら、何とか映画をスタートさせたの。問題だったのは、まったく英語をしゃべれない中国人クルーとの撮影で、撮影監督でさえも英語を話せなかったのよ。だから常に文化的な壁があったの。でもそういった苦境が、逆にクリエイティブなものを作り出したりもしたわね。かなり挑戦的な撮影だったと思うわ。
‐この映画の魅力は、山河を背景にした美しい映像なのですが、ロケーションで苦労されたことを教えて下さい。
(ラダ・ミッチェル)最初にわたしたちが滞在したところは、中国北部にある鉱山町みたいなところだったの。空気が汚染していて、撮影に行く前には必ずマスクをかぶって現場に行かなければならなかったわ。けれど、撮影現場の山のふもとにたどり着くと、そこは打って変わって静かで素晴らしい景色だったわ。ロジャー監督が執拗(しつよう)に散策して、探し出したこだわりのロケーションなの。
‐孤児との共演については?
(ラダ・ミッチェル)ほとんどの孤児役は、ローカル・スクールで探し出してきた子どもたちで、労働許可書を取得するのに苦労したわ。中国のローカルな区域だと撮影の際にはフットワーク良く動くことができないのよね。子どもたちの労働の許可はやっと北京で取れたんだけど、それまでの過程が大変だったの。彼らは鉱山の町に生まれた子どもたちで、将来は必然的にその職業をやって、その町で一生を暮らす人たちが多かったりするの。彼らはみんな大人びて見えたわ。長時間の撮影にも耐えてくれたし、それに子どもってちょっとしたことで遊びを見つけるじゃない? それがすごくかわいかったわ。
‐あなたが以前に出演した『サイレントヒル』の続編のプロジェクトの進行具合は?
(ラダ・ミッチェル)それはクリストフ・ガンズ監督次第ね。彼のビジョンによって映画も変わってくるだろうから、今のところは未定とだけ言っておくわ。
現在、ラダはオーストラリアからロサンゼルスに拠点を移し活動中だ。主演作品も増え始め、ハリウッドでの今後の活躍が期待される女優だ。(取材・文:細木信宏)
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