身体障害者のミュージシャンたちがツアー!アメリカに亡命していた音楽家が描くドキュメンタリー
身体障害者のミュージシャンやダンサーを集めて行ったツアーをドキュメント映画化したロードムービー『ムンド・アラス/Mundo Alas』(原題)を製作したアルゼンチン音楽界の重鎮レオン・ヒエコに話を聞いた。
レオンはこれまで数多くの若手ミュージシャンの手助けをしてきたが、「ミュージシャンの手助けをすることは、僕にとって義務のようなものなんだ。駆け出しのミュージシャンだけを助けるのではなく、人々に忘れられてしまったミュージシャンを、再発掘することも大切なんだ」と語ってくれた。そして、「僕は、ずっと身体に障害を持ったミュージシャンと演奏してきたから、彼らをほかの健康なミュージシャンと変わらないと思っているんだ。ある時国営放送の番組で、僕が20年間共に演奏してきた身体障害者のミュージシャンたちを集めて演奏したことがあって、そのときの評判が良かったから、今回の映画化の話が持ち込まれたんだよ」と今回のツアーと映画化の経緯を話した。
映画の中では、ミュージシャンの一人、マクシーという青年が印象的だ。11歳のときにレオンと歌った映像と、最近の映像が比較されている。この青年について聞いてみると、「マクシーはこの映画に出演してから、音楽で家族を養うことができるようになったんだよ! 彼はCDもリリースしているんだよ! 彼以外にもこのツアーに参加してくれた多くのミュージシャンは、CDを出したり、本を執筆したりして積極的な活動をしているんだ」と話した。この映画によって、レオンはまた多くのミュージシャンを手助けしたようだ。
ツアー後すぐに結婚したカップルがいたのだが、「本当に素晴らしいことだったよ! デイミアン(車いすのダンサー)の結婚相手は、彼のダンスパートナーではなく、盲目のボーカリスト、カリーナのアシスタントをしていた女性なんだ。彼らはツアーの時に出会って恋をしたようだけど、誰もそのことに気付かなかったんだよ……(笑)。ツアーの後になって、映画の編集をしている際に、彼らから電話があって結婚すると言われたんだ! 僕はすぐに、この映画のために撮影させてよと頼んだよ!(笑)」と二人のロマンスにまったく気付かなかったことを明かしてくれた。
そんな彼は、過去につらい経験をしたことがある。それは、彼が1976年に「The Ghost of Canterville」というアルバムをリリースしたときのことだ。このアルバムは、当時軍事政権下にあったアルゼンチンの検閲を受け、12曲入っていた中の10曲が演奏することを禁じられてしまった。結局、このアルバムの中の曲は、後に出したアルバムの中に2、3曲ずつ入れながら、徐々にリリースしていくことになったが、彼はこのアルバムが原因で命を狙われたこともあり、一時期アメリカに亡命していたこともあったのだ。
さまざまな苦労をしながら、数多くのミュージシャンを支えてきたレオン。インタビューの際、身体障害者のミュージシャンの名前を出して質問するたびに、「彼らのことを、まるでハリウッドスターの名前のように覚えて質問してくれることに感謝するよ! と言って涙ぐんでいたのが印象に残った。まさしく彼は、アルゼンチン音楽界の宝である。(取材・文:細木信宏 / Nobuhiro Hosoki)