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クリント・イーストウッドがニューヨーク映画祭に登場!100歳を過ぎても監督を続けていたい!

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左からセシル・ドゥ・フランス、マット・デイモン、クリント・イーストウッド、ブライス・ダラス・ハワード、ピーター・モーガン
左からセシル・ドゥ・フランス、マット・デイモン、クリント・イーストウッド、ブライス・ダラス・ハワード、ピーター・モーガン

 今年のニューヨーク映画祭のクロージングナイトを飾るクリント・イーストウッドの新作『ヒアアフター / Hereafter』(原題)が上映され、その記者会見に監督クリント・イーストウッド、主演マット・デイモン、共演者ブライス・ダラス・ハワードセシル・ドゥ・フランス、そして脚本家ピーター・モーガンが登壇した。

クリント・イーストウッド監督・出演映画『グラン・トリノ』写真ギャラリー

 同作は、過去に死者と語ることのできるサイキックとして活動していたジョージ(マット・デイモン)は、現在はある工場の作業員として働いていた。ある日、兄の勧めで再びサイキックを始めるように仕向けられるが、ジョージはそれを断念してロンドンに旅に出る。そして、そこで思いがけない人たちと出会うことになる……。2004年のスマトラ島沖地震や、2005年のロンドンの地下鉄の爆弾テロなど実際に起きた事件を交錯させながら語られるスピリチュアル・スリラー作品。ブライス・ダラス・ハワードは、ジョージに恋心を抱く女性、セシル・ドゥ・フランスは、スマトラ島の大津波で臨死体験をしたフランスのテレビ・ジャーナリストを演じている。

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 製作までの過程について「あるとき、30代半ばの女性が、自分の妹をがんで亡くしたことを記した本を読んだんだ。その本では、彼女はなんとかして亡くなった妹とのコネクションを図ろうと、ジャーナリストとして死後の世界を研究し始めていくというものだった。わたしはその内容に感動し、影響を受けて、それから3つのストーリーに分かれたこの脚本を構成することになったんだ」と話した脚本家ピーター・モーガンだが、その脚本の執筆後に彼のエージェントが代わってしまい、その脚本はしばらく保留されたままだったらしい。ところが新しいエージェントが、その脚本をスピルバーグ(正確には、彼のプロデューサー、キャスリーン・ケネディが最初だが)に送り、当時パラマウント・ピクチャーズとの折り合いが上手くいっていなかったドリームワークスでは製作できないと判断したスピルバーグが、さらにワーナー・ブラザーズのもとで製作してきたクリント・イーストウッドに、この作品を委ねたそうだ。

 映画内の大津波のシークエンスについて、クリント・イーストウッドは「津波のシーンは、本当に大変だった。大きなホースを使ったり、何千ガロンもの水を道に流したり、さらに最も難しいとされる水の映像をCGで描くことにもなった。CGは、僕の作品をほとんど手掛けてきたスペシャル・エフェクトのスーパーバイザーであるマイケル・オーエンズと、どの箇所にCGが必要なのか相談しながら製作したんだ。撮影は、マウイ島ラハイナのフロントストリートや、その周りの海、そしてロンドンセットのウォータータンクに、セシル・ドゥ・フランスに9時間も水につかってもらいながら撮影をしたんだよ」と綿密に計画をして撮影したことを明らかにした。

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 全く俳優経験のない双子の子役フランキー/ジョージ・マクラレンが、映画内では重要な役を担っていることについて「クリントは、彼ら双子の顔を気に入っていたんだよ。それに、撮影場所の近くで彼らを発掘したから、彼らが適当だとも思ったのかもしれないね。彼らとのシーンで一番大変だったのは、ホテルで出会うシーンだった。クリントは、ショット数の少ない監督として知られているが、このホテルのシーンでは、この双子からかなりの演技を引き出すことが必要なのが分かっていたんだよ」と大変な撮影になると予想したマット・デイモンは、さらに「このホテルのシーンは、双子のうち1人しか使われていないが、彼らを演技上でナーバスにさせないため、クリントは彼ら二人とも同じ撮影をして演じさせたんだ。さらに、僕の方でもカメラが回っているときに、彼らにいろんな質問をして、そのリアクションを撮影できるような手助けもしていたんだ」と10代から俳優経験のあるマット・デイモンならではの共演手段も明かした。

 ブライス・ダラス・ハワードは、自分の役は一般の人たちにもすごく共感の持てるキャラクターだと語り、セシル・ドゥ・フランスは水中での撮影に苦労したことを話した。最後に、クリント・イーストウッドの「ポルトガルの監督マノエル・デ・オリヴェイラのように、100歳を過ぎても監督を続けていたい」という言葉が印象に残った。
(取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)

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