須藤元気、水7トンを持って被災地・石巻市へ ヘドロかき出しの復興活動をしていたとき最大余震に襲われた恐怖を語る
被災地・石巻市で8日間にわたり復興活動をしていた須藤元気が8日に東京に戻り、7日に遭遇した震度6強の地震の恐怖を語った。
「地面が鳴りました」恐怖を思い出しながら、須藤が言った。「ゴオオオってものすごい地鳴りがして、すぐに停電になりました。真っ暗な闇の中に、津波警報の音が不気味に響き渡る。正直、足がすくみました」。ボランティア活動最終日の夜のことだったという。
4月1日、自ら呼びかけて集めた男性ボランティアスタッフたちとともに、須藤は被害の大きかった宮城県石巻市へとやってきた。水7トンを届け、当初は被災地の方々にお風呂に入ってもらおうと、ドラム缶風呂を作る予定だった。だが現場に行ってみると、自衛隊がすでに風呂を作っており、地元の人からは「ヘドロを出す作業を手伝ってくれないか?」と言われたという。「すでにお風呂があるのに、ドラム缶風呂を作っても自己満足になっちゃう……2日目でドラム缶風呂はやめて、あとは地元の方々と一緒に泥出し作業をしていました」と語る。泥出し作業というのは、津波によりヘドロだらけになった商店街を中心に、スコップで一輪車にヘドロを入れて外に出す作業を延々と繰り返すものだ。ヘドロは強烈なにおいを放ち、「正直、格闘技で肉体労働には自信があった僕でも、本当にきつい作業でした」と振り返った。
そんなきつい作業を支えていたのが、地元の人たちの「ありがとう」という言葉だった。災害から3週間、みんなが現実を受け入れ、前を見ようとしているのか、つらい現実の中、笑顔が印象的だった。ある男性が「妹が、元気さんのファンなので」とサインを求めてきた。サインをしていると、「でも、津波で死にました。家ごと流されて……。だからありがとうございます!」と笑顔で言われ、言葉に詰まった。サインをしたあと、車の中で一人で泣いた。大勢の人が、当たり前のように自分の家族を失っている、信じられないような現実がそこにあった。「精神的にちょっとつらくなってるんですかね。僕、被災地に行って3日目から本当に涙もろくなってしまって」という須藤は、避難所を訪問したときを振り返りながら、「被災者の方々を目の前にして、言葉が出ませんでした……」と再び声を震わせた。
過酷な作業を終えて帰京した須藤は、「今は本当に危機的な状況ですが、危機の“機”というのは、機会=チャンスの“機”でもあるんです。みんなの気持ちが一つになっている今こそ、日本は変わると思います。自分が変われば、世界は変わるということを信じて行動してほしい」と訴えた。今日本では多くの人が被災地のためにできることを、自分なりに模索している。「ここから、どう自分たちが行動するかで未来は変わる」という須藤の言葉通り、わたしたち一人一人が行動を起こしたとき、日本という国は変わっていくのかもしれない。
須藤は2009年にWORLD ORDERという男性7人のダンスグループを結成。作詞、作曲、さらには監督もこなしてオリジナリティあふれるPVを発表し、そのクオリティの高さは海外からも高く評価されている。地震後に編集作業を行い完成した、機械文明がテーマの新曲PV「MACHINE CIVILIZATION」を公開したばかりの須藤は、WORLD ORDERが今後発表する楽曲すべてのダウンロードフリーを宣言している。(編集部:森田真帆)