ニューヨークのインディーズの先駆者エイモス・ポー監督、70年代のニューヨークを振り返る
N.Yのインディペンデント映画史を描いたドキュメンタリー作品『ブランク・シティ(原題) / Blank City』について、インディ作品の先駆者的な存在であるエイモス・ポー監督と、同作でメガホンを取ったセリーヌ・ダニエール監督が語った。
同作は、70年代にニューヨークのアンダーグラウンドで発生したアート・パンク・ムーブメント“No Wave"を通して、インディ系のフィルムメイカーに焦点を当てた作品。ジム・ジャームッシュ、ジョン・ウォーターズ、スティーヴ・ブシェミらがインタビューに答え、当時を振り返っているのにも注目だ。
制作意図についてセリーヌは「わたしがフランスに住んでいたときに、パリで行われたある映画祭で、この“No Wave"の時代を扱った映画を観たの。ただ、その時は“No Wave"については全く何も知らなかったの。それから、いろいろフランスでリサーチしてみたんだけれど、“No Wave"のことを調べることさえ難しかったわ。そこで、思い切ってニューヨークに移ったけれど、ニューヨークでも“No Wave"の時代の映画を探すのにはずいぶん苦労したわ」と語るセリーヌは、“No Wave"の作品を置いていたビデオ屋でさえ、今ではなくなってしまったらしく、そういう状況化に嘆いたセリーヌは、世間の認識が低いこの“No Wave"をもっと人々に知ってほしいと思い、この映画の制作に取りかかったそうだ。
エイモス・ポー監督は、後のニューヨークのインディ映画に影響を与えた人物だが、映画『BLANK GENERATION ブランク・ジェネレーション』を製作したさいには、かなり苦労したそうだ。「当時、僕は小さなアートハウス系の配給会社の手伝いをしながら、ビルの管理人もして生計を立てていたんだ。あのときは『BLANK GENERATION ブランク・ジェネレーション』を製作するために金をためていたんだ。ところが、撮影前に配給会社の社長が僕に任せるための書類をデスク上に置いていったのに、僕はそれを知らずに2週間の休暇をもらって撮影していたんだよ。すると、撮影から戻ってくるとすでに解雇されてたんだ! しかも管理人の仕事も、この撮影が理由で同時期に解雇されてしまったんだ!! さらに、妊娠していた妻がそのときの状況に動揺して、神経衰弱になって病院に入院してしまったんだよ。その後、子どもも生まれたが、それまでためていたお金はほとんどこの映画の制作費に使ってしまったんだ……。だから、当時はほかの仕事をしながら娘と妻の世話をしたうえで、ようやく編集作業をしていたんだ(笑)」と明かした。ちなみに、この『BLANK GENERATION ブランク・ジェネレーション』は、ニューヨークのインディ映画の先駆的作品として評価されている映画である。
エイモス・ポー監督は、写真家としてキャリアをスタートさせたらしい。「僕以外にもジュリアン・シュナーベル監督が画家だったように、以前に別の職業をしていた監督たちも結構いるね。写真との出会いは、僕が13歳のときに父親がスティルカメラを買ってくれたことから始まった。当時、すっかりカメラに魅了されてしまって、家の地下にも写真を現像するために暗室も作ったり、あらゆる写真の本も買っていたんだ。ただ、当時は学校のクラスで写真を勉強することができなかったから、ほどんど独学だったけれどね」と述べたように、その影響か、彼の作品は白黒の秀逸な映画に仕上がっている作品が多い。
このドキュメンタリー映画は、人々にあまり知られていない70~80年代のインディの秀作が学べるだけでなく、当時のニューヨークの文化をしっかりと把握できる映画に仕上がっている。(取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)