坂口憲二の兄・征夫、福島県小名浜での水道復興工事に従事 命懸けの工事で地域すべての水道管復活
坂口憲二の兄で、俳優・格闘家と多方面で活動する傍ら、高校卒業以来、土木建設の仕事を続けてきた坂口征夫が、被災地である福島県いわき市、小名浜での水道復興工事を終えて帰京した。
今回、坂口が自ら志願して参加したのは、横浜市水道局からの要請により、水道工事会社が被災地へ赴いて行う水道の復興工事活動。
当初は茨城となる予定だった派遣先が、現在も原発事故による放射能汚染が問題となっている福島に決定すると、周囲からは猛反対され、被災地に持っていく工事用機械の貸し出しですら「機械が被ばくする」と断る業者もあったという。会社の社長からも大反対されたが、「困っている人がいれば、助ける」という、シンプルだが強い、この思いだけが坂口を突き動かした。
現地に到着した坂口たちが復興工事を行ったのは、小名浜地区の泉駅方面一帯。3月11日以降、震度3以上の余震が頻発しているこの地区で、安定しない排水管の上に乗り、側溝に手をかけながら行う作業は常に死と隣り合わせだった。水道本管が埋まっている場所から、深さ2~3メートルの地点まで掘った穴の中には泥水が上がってきており、下半身をびしょぬれにしながらの作業が、日が沈むまで休むことなく続いたという。「普通に水が飲めて、お風呂に入れる、そんな当たり前の生活を、一日も早く取り戻せるように」、坂口は泥だらけになりながらも、仲間と共に道路の下に埋もれている水道本管と各家庭に水を運ぶ給水管の2つを復旧させ、断水となっていた地域すべての水道管を復活させた。
坂口は、高校を卒業してすぐに土木作業員の仕事を始めた。元プロレスラーである父・坂口征二とハワイに留学した後は芸能界デビューも決まっていた弟に対して、20代の前半は、大きな劣等感を抱えながら現場に向かう日々だった。そのころの自分を「なんでおれだけ……って、本当にコンプレックスの塊でした」と坂口は振り返る。泥まみれになりながら仕事を終えると、作業服のまま夜の街に繰り出しては仲間と共に飲み歩き、借金も作った。だが、絶望的な日々は、長男が誕生したことで一変した。離婚を経験した後、男手一つで子育てをし、格闘家としてもデビュー。紆余(うよ)曲折を経験し、自分自身も大きく変わったという。「自分のことしか考えられなかった20代の時だったら、被災地には来ていないかもしれません。親になってずいぶん変わりました。自分の技術が今、被災地の人々のために役に立てている。うれしいですね」。
また、現地では、地元の人々にたくさんの感謝の声をかけられたという坂口。「横浜じゃ、汚いなとか、また工事かよって言われちゃうことが多いんですよね。でも、被災地の方々に、ようやく久しぶりに風呂に入れるよ! お兄ちゃん、ありがとう、って言ってもらえたときは素直に来てよかったなって思いました。皆さん物資がない中、お年寄りの方が缶ジュースを持ってきてくれたり、本当に温かったです」と笑顔で語った。
元気いっぱいの熱血漢である弟の憲二とは対照的に、兄の征夫は口数が多いほうではない。そんな彼が、取材後半に「どうしても伝えたいことがあるんですけど、最後にいいですか?」と自ら切り出した。「自分が被災地に行って、強く感じたことがあったんです。向こうに行ったとき、誰一人文句を言ってる人はいなかった。でも、自分の住んでいる都心部の人たちは、スーパーに物がないと言ったり、停電が大変だって言ったり。被害を受けてない人たちが、一番文句を言っているんですよね。被災地の人たちは、ものすごく我慢をしている。文句も言わず、前向きに生きている福島の人たちのことを絶対に伝えたかったんです。被災地の皆さんのことをいつも心のどこかに感じながら生活していきたいですね」と真剣な表情で訴える坂口からは、被災した人々へ向けた、熱い思いが伝わってきた。(編集部・森田真帆)