世界が注目する日本人マジシャン、原大樹を直撃!世界的なマジシャン、ランス・バートンも認める彼は?
世界的なマジシャン、ランス・バートンが主催する2009年に行われた「ワールド・マジック・セミナー・ティーンズ・コンテスト」で、日本人初のグランプリを受賞した原大樹が、同コンテストを描いたドキュメンタリー作品『メイク・ビリーブ(原題) / Make Believe』と今後の展望について語った。
まず、マジックとの出会いは「最初にマジックを観たのは5歳のときですね。東京の井の頭公園でピエロのお兄さんがマジックをしていて、それを観たのがきっかけでした」とずいぶん早い時期からマジックに興味を持っていたことを明かし、さらに「僕が影響を受けたマジシャンは、ラスベガスで成功した日本人マジシャンの島田晴夫さんですが、いちばん好きなマジシャンはランス・バートンさんなんです」と語った。
そんなランス・バートンの魅力について「僕が17歳のときにランス・バートンさんのショーを初めてラスベガスに行って観て、もちろん彼のマジックも凄いですけれど、彼の人柄がすごく温かいというところに、僕はいちばん感銘を受けました。最後、彼のショーが終わった後、理由もわからずに泣いていました。それまで僕が観てきたマジックは、あくまで不思議を見せつけるような、どうだ!凄いだろ!みたいなマジックしか頭のイメージになかったんです」。では、ランスのどこが凄いのだろうか。「ランスさんは観客との距離感が近くて、ショーが終わると同時にまるで観客が彼と友人関係になったくらいの感覚にさせられるんです。僕はそんな彼のショーを観てから、もっとハードに練習をしてラスベガスの舞台に立ちたいと思うようになりましたね」。ちなみにこのコンテストの前まで、原大樹は1日10時間も練習していたそうだ。
原大樹の生まれ育った環境について「普通マジシャンになる人は、マジックを教えてくれる先生に付いたりして、弟子入りする形で先生が必ず居るんですけれど、僕の場合は生まれ育った場所が奈良の十津川という田舎町で、最寄りのコンビニまで車で1時間かかるほどでした。そのためマジックショップなければ、マジックを教えてくれるような先生もいませんでした。だから、たまにテレビでやっているマジック番組を録画して、それを何度も何度もテープが擦り切れるほど観て、マジックの種を一つ一つ覚えていました」と自分なりに模索しながら学んでいたようだ。「ただいちばん苦労したのは、自分の練習しているものが、はたして良いのか?悪いのか?先生がいないので判断ができないことでした。だから不安だったからこそ、練習するしかありませんでしたね」と語る彼は、近所の公民館で自分の練習している姿をカメラを設置して撮影し、帰ってから自分のパフォーマンスをチェックして、さらに磨きをかけていったそうだ。
ラスベガスのこのコンテストで優勝してから「おかげさまで世界中からオファーを頂いて、ほとんど毎月海外に呼んで頂いて、そこでショーをしていますが、近い将来はやっぱりラスベガスで自分のショーが持てるような、それこそランス・バートンさんのようなマジシャンになりたいと思っています」と展望を語った。
彼は、この映画を通して世界中のティーンマジシャンたちと、一生の付き合いができそうな友人関係を育むことができたそうだ。そして彼は「マジックを勉強するには(育った環境は)閉鎖的な場所でしたが、自分なりこれしかないと思ったものを突き詰めて、外部から批判が入らなかったために、逆にオリジナルのものができた思う」と述べた。おそらく、これからは日本だけでなく、世界で注目されることになる彼の今後の活躍に期待したい。 (取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)