22年前に製作された福島第一原発に問題提起した映画が公開『あしたが消える-どうして原発?-』
19日、原子力発電所の危険性を訴えるため、1989年に制作された、福島第一原子力発電所を追うドキュメンタリー映画『あしたが消える-どうして原発?-』の試写会が渋谷のユーロスペースで行われ、プロデューサーの平形則安、溝上潔、監督の千葉茂樹、監修の西尾漠ら当時のスタッフがトークショーを開催。原発反対への熱い思いを語った。
チェルノブイリ原子力発電所事故から3年、人々がまだ原発に対して大きな疑念を抱いていた1989年に制作された本作。平形は、当時から今と同じく、原発が日本の使用電力の20数パーセントを占めていたことを危惧(きぐ)していたといい、「もし日本で事故が起きていたら、明日が消えてしまうのではないかと思い(本作を)作りました。非情に残念ながら、今回の事故で、事故以前の日常は消えてしまいました」とタイトルに込めた思いを説明。原発事故により制作から22年経った今、本作が改めて上映されることには「映画1本の力がどれほどある、というわけではないですが、22年前は力が及ばず、無力感にさいなまされています」と複雑な思いを明かした。
また、溝上からは「新しい世代の人たちがこれを観て感じとっていただいて、原発を止める方向にいっていただいたら」と作品を通して、若い世代にバトンを渡すことを願いが語られる一方、田渕は「被災地の人々にとっては、この先何十年も戦いが続いてくことを忘れてはいけない。最近も南相馬市の方面に何回か行って話を聞いてきています。それも何かの形でまとめたいと思っています」と再び映像を通して訴えていきたいという決意を宣言。それぞれの原発への思いが語られた。
さらに、当時作品の監修にも関わり、原子力資料情報室共同代表でもある西尾からは「もうある意味、(日本は)放射能と共存せざるを得ないところまできています」という指摘も飛び出した。「放射線のレベルについて、あるレベルから下から安全、上なら危険ということはないです。下に行けば行っただけ危険がより小さくなるだけです」と説明したうえで、「それを、国や何かが決めるのではなくて、ひとりひとりが考えて決めなければならない。そういうことを踏まえてもう一度この映画を上映した」と個人の認識の大切さを改めて強調していた。
映画『あしたが消える-どうして原発?-』は、福島第一原子力発電所の定期検査など指導的な立場で働いていた52歳の父を骨がんで失った仙台市の主婦が投稿した新聞記事をきっかけに、原子力発電所に疑問を抱いた平形則安が制作した55分間のドキュメンタリー映画。日本の原発で働く被曝労働者たちの切なる証言や、被曝の危険性を明らかにしようと奮闘する医師、実際に福島第一原子力発電所4号機の設計に携わった田中三彦氏の証言などを収録している。(取材・文:中村好伸)
映画『あしたが消える-どうして原発?-』は8月6日より渋谷ユーロスペースにて公開