『モテキ』大根監督、テレビと映画で活躍した木下恵介監督の足跡に大きな自信!!
1日、東銀座の東劇の『楢山節考』上映前に木下恵介生誕100周年記念シンポジウムが行われ、脚本家の山田太一、『モテキ』の大根仁監督、早稲田大学の長谷正人教授、小説家の長部日出雄らが出席、木下作品について大いに語りあった。
映画黄金期に数々の傑作を生みだした木下監督は、テレビ界にもいち早く進出。数々の連続ドラマを手掛け、日本のテレビドラマ界の礎を築いた。それを受け「僕はテレビ演出家ですが、これからは映画と両方やっていきたいと思っているんです。しかし映画界もテレビドラマ界もお互いを遠ざけあっていて、どこか後ろめたい気持ちがあった」と切り出した大根監督だったが、「でも木下さんの足跡を知ることで(両方やりたいということに)自信が持てた。木下作品を僕の下の世代に紹介していくのが自分の役目」と決意を語る。
後に「脚本家、山田太一を育てたのが(テレビ界への)最大の貢献」と自負したという木下監督。木下監督の弟子として、テレビの世界に一緒に移った当時を振り返った山田は「映画はテレビに段々と追われていて、映画撮影所内ではテレビを持っているとは言いにくく、観たいとも思わない状況だった。そんな中、木下さんが、テレビに行くと聞いた時に嫌だなと思わなかったのは、大島(渚)さんや篠田(正浩)さんとかみんな出ていっちゃって、その頃の松竹に希望がないと感じたから。それならテレビに行ってもいいのかなと思った」と述懐。
さらに山田は、木下監督の晩年に家を訪ねた事を振り返り、「世間が木下さんに注目しなくなった頃、何をしていますかと聞いたら、ベランダのすずめにエサをあげてボーっとしているよと。そこで今は映画の設備も良くなっているから、応接間にスクリーンの設備を作ってみたらどうですかと提案したら、観るものなんて何もないよと返されて、黙ってしまった。やはり木下さんなりの無念はあったと思う」と述懐。しかし多くの観客で埋まった客席を見渡した山田は「本当にうれしい」と晴れ晴れとした笑顔を見せた。(取材・文:壬生智裕)
特集上映「木下惠介生誕100年祭」は東劇にて開催中