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新宿の酒場は日本赤軍よりヒドい!? 若松孝二監督の盟友・足立正生が振り返る60年代

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日本赤軍、国際指名手配、逮捕拘留よりも新宿の酒場はキツかった!?足立正生監督
日本赤軍、国際指名手配、逮捕拘留よりも新宿の酒場はキツかった!?足立正生監督

 5日、渋谷のアップリンクで開催中の特集上映「特集/足立正生」内で映画『女学生ゲリラ』が上映され、ゲストで来場した足立正生監督が酒とケンカに明け暮れた1960年代を振り返った。足立監督は、故・若松孝二監督の盟友で、1960年代から1970年代にかけ、性と革命を主題とした前衛的なピンク映画の脚本、監督作を数多く生み出したことで知られる。

映画『美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう/足立正生』写真ギャラリー

 「若松は死んだから、今日はボロクソに言ってやろうと思う」と切り出した足立監督は『女学生ゲリラ』の現場を「若松は商売人だから、1本の製作費で2本一緒に撮影するんです。この映画は(若松監督の)『処女ゲバゲバ』と一緒に撮った。300万円の予算からプロデューサー料やもろもろ120万を引かれて、残るのは180万円。これが苦労の始まり」とボヤき、低予算ながらの苦労を次々と明かすものの、「何だかかんだで楽しかったよね」と振り返った。

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 この日の聞き手はライターの東良美季。彼の父親は、1960年代から大島渚作品などに数多く出演した俳優の戸浦六宏であることから、トークは次第に、当時の新宿における酒とケンカの話に。「酒を飲むのも必死だった」と述懐する足立は、「大島はベロベロになると、『あっちゃん、俺はお前の映画を一度もいいと思ったこともない』と。その尻馬に乗って若松が『足立は俺の数倍下手だな』というんで、ムカッときた」と切り出した。

 酒場のケンカはさらにエスカレートしたようで、「すると奥にいた唐十郎が突然立ち上がって、『足立に文句がある奴は俺に言え!』と。でもあいつは全然関係ない。それで唐を取り押さえたりして、待っていたかのように隣の奴を殴る、といった大乱闘ですよ。それくらい怨念もエネルギーもたまっていた時代だったということですね。(大島渚の妻で女優の)小山明子に、俺は大島を堕落させる天敵だと言われましたから」と笑いながら述懐する。

 そんな足立監督は1974年、日本赤軍に合流し国際指名手配された経験を持つ。その後、レバノンで逮捕拘留され、禁固刑を終え日本へ強制送還されるという激動の人生を送ってきた彼だが、「日本赤軍では、一貫してスポークスマンだった。相当ひどい目には合いましたけど、それでも新宿の酒場ほどはひどくなかったよね」と笑ってみせた。(取材・文:壬生智裕)

映画『美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう/足立正生』公開記念「特集/足立正生」は渋谷のアップリンクで上映中

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