崔洋一監督、日本初の本番映画『愛のコリーダ』で大島渚監督と深めた絆明かす
鎌倉市川喜多映画記念館で開催中の「監督 大島渚&女優 小山明子」展で16日、映画『愛のコリーダ』で助監督を務めるなど親交のあった崔洋一監督が「『愛のコリーダ』から『御法度』へ~大島渚の映画術~」と題したトークイベントを行った。
同企画展は大島監督の存命中から準備されていたが、2月1日の開幕直前の1月15日に他界された(享年80歳)。冒頭、崔監督は「こんな形で皆さんとお会いするとは想定していなかった……」と漏らす一幕も。しかし、いざ話し始めると“絶口調“となり、主題を大きく脱線しながら休憩なしの約2時間30分にわたって大島監督との想い出話で観客を沸かせた。
崔監督は若松孝二監督(昨年10月死去)と飲み仲間だったことから、「日本がひっくり返ることがあるが、ノルか!」と誘われて若松監督プロデュースの『愛のコリーダ』(1976)に参加。当時、まだ25歳だったが、チーフ助監督に抜擢したのが大島監督だったという。「大島さんに開口一番『新宿で一番喧嘩が強いんだって?』と言われた。それで俺をリクルートしたのかと(笑)」。
同作品で崔監督は藤竜也の出演交渉に奔走し、撮影スケジュールを組んだ時には大島監督に「思想がない」と怒鳴られるなど苦労が耐えなかったそうだが、2人は日本初の本番映画を撮り上げた“共犯者“として絆を深めることに。大島監督の遺作となった『御法度』(1999)では新撰組の近藤勇役で俳優として出演した。
「大島監督からいきなり電話があって『一軍の将というのは一軍の将でなければ演じられない。役者には演じられないんだよ』と。これが人たらしの術(笑)。でも何のことはない。坂本(龍一)がスケジュールの都合で出られなかったらしい」。
そんな大島監督からは、監督術を学んだことはないそうだが、「大島さんから酒の飲み方と人との付き合い方を。若松孝二監督からは喧嘩の勝ち方を学んだ。この3つがあれば十分」と、相次いで亡くなった先輩たちを偲んだ。
最後は、11歳の時に『太陽の墓場』(1960)で初めて大島作品に触れた衝撃を語りながら、「大島さんは極めて冒険的なことを探索をしながら(作品を)積み上げていった。そういう意味で大島映画を観ると世界は広がりまっせ~」と大島作品を改めて見つめ直す事を薦めていた。(取材・文:中山治美)
企画展「監督 大島渚&女優 小山明子」は3月31日まで鎌倉市川喜多映画記念館で開催。なお、3月31日の小山明子講演会&サイン会はチケット即日完売