THE BOOM宮沢、「島唄」誕生秘話明かす
第五回沖縄国際映画祭で沖縄県読谷村の地域発信型映画として上映された『THE BOOM 島唄のものがたり』に出演しているロックバンドTHE BOOMのボーカリスト・宮沢和史が、リリース20周年を迎えた同バンドの大ヒット曲「島唄」の誕生秘話を語った。
同曲が発表されたのは、1992年。宮沢は「『島唄』を作る前に、初めて沖縄音階を取り入れた『100万つぶの涙』という戦争で妻を失った男の曲を作ったんですが、当時は沖縄の地上戦がいかに悲惨だったかを知りませんでした。それから戦跡や資料館を巡り始めて、沖縄のひめゆり平和記念資料館に行ったとき、語り部のおばあさんに出会ったんです。そのおばあさんの抱えている怒りや悲しみ、さまざまな感情を少しでも癒やしてあげるために何ができるか考えたとき、僕には歌しかありませんでした」と当時の思いを語った。
そのおばあさんのために作った「島唄」は、1992年に発表したアルバム「思春期」に収録され、同年12月、沖縄限定で「島唄(ウチナーグチ・ヴァージョン)」が発売された。その後全国発売された同曲は、150万枚を売り上げるヒットとなった。
だがそうした光の陰で、厳しい声もあった。「島唄」は、沖縄と同じ琉球文化圏に属する奄美諸島で歌われる民謡の総称。それゆえに、それを歌のタイトルとした「島唄」に批判の声が上がったのだ。映画『THE BOOM 島唄のものがたり』にも、琉球音楽協会会長・知名定男が「よくヤマトンチュ(沖縄県外の人間のこと)がぬけぬけと、島唄なんてタイトルをつけたなと最初の頃は気分が悪かった」と語るシーンがある。宮沢は「三線というのは、床の間に飾る家も少なくないほど沖縄のひとたちにとって神聖なものです。それを僕みたいなロックバンドの人間が振りかざして歌ったことによる、厳しい意見も多かったですね」と振り返った。
しかし、前出の知名は、映画の中で、「宮沢くんと会って話すうちに、彼の沖縄に対する熱い思いが伝わってきました」とも語っている。当時を振り返り、「僕は沖縄と一生向き合っていく決意ができました。沖縄と仲良くなりたかったですから」と笑顔で語る宮沢。彼の歌う「島唄」に批判的な声が少しずつなくなっていったのには、ひとえに宮沢の沖縄の伝統、文化、そして歴史に対するひたむきな思いがある。
映画には、BEGINや島袋寛子など自分たちの音楽、沖縄の音楽に誇りを持つようになったという多くのミュージシャンが登場し、「島唄」について語る。また、現在も「島唄」を聞いて三線を持つ子どもたちは少なくない。20年たってなお、「島唄」が多くの人に歌い継がれているのは、宮沢の沖縄への大きな愛情が力強い歌声を通して伝わっているからではないだろうか。(編集部・森田真帆)
第五回沖縄国際映画祭は30日まで沖縄コンベンションセンターほかにて開催