巨匠ウディ・アレンに単独インタビュー、映画に対する価値観や個人的な意見とは?
映画『アニー・ホール』『マンハッタン』など数々の名作を手掛けてきた巨匠ウディ・アレンが新作『ローマでアモーレ』で、新作と映画に対する価値観や個人的な意見を単独インタビューで語った。今回は、映画に対する価値観や個人的な意見だけを紹介。
近年、ヨーロッパ中心の映画製作だが、アジア諸国での撮影の可能性はあるのか。「僕の妻スン=イーは韓国人で、彼女は僕と共に韓国、日本、中国などのアジア諸国を訪問したがっているが、あまりに距離が離れているから、僕はいつもまだいいよと断っていた。だが、今年の春にアジアの諸国を訪れて、(撮影の)可能性のある国を探索しようと思っている。多くの人々がその可能性について僕に話してくれて、それが楽しみだ。日本にも訪れて、ジャズの演奏をしたいと思っているよ。伝統的なジャズが日本では有名だからね」。
セットでは俳優と話さないウディ・アレンは、アシスタントに指示をして俳優に伝える演出が有名だが、その演出はウディ・アレンのスタイルを確立するものなのか。「そうだね、多少は俳優と話すこともあるけれど、ほとんどは俳優とは話さないね。僕は演技力のある俳優を雇って、彼らに(演技を)任せている。もし彼らが(演技上で)ミスをした場合には、(その演技に対して)より大げさにとか、より細やかにとか指示することがあるが、大概良い俳優をキャスティングすれば、その必要もないんだよ。ただ、僕が脚本を書いたことで、ある意味彼ら俳優は無意識に僕のように演じているだけで、主役を演じている俳優が僕の真似をしているわけではない。あくまで、僕の書いた言葉とリズムが僕の話し方になっているだけなんだ」。
アレン監督の初期の作品では、よく“死”に対して語る台詞があったが、近年それほど触れていないように思える。「実は前と変わらず触れているんだ。映画『恋のロンドン狂騒曲』でも、それをはっきり語っていた。誰もが人間として、自分自身を守るために、死を拒否することは自然な行為だと思う。ただ、人々は死に関してジョークを言うことがないが、僕はよく死についてジョークで語ることが多いね」。
近年のリアリティー番組がはやる傾向について「ほとんどは(有名になることに)値しない人ばかりで、全く普通なのに、突如とてつもなく有名になっている。パリス・ヒルトンのように、有名であることが有名で、特に何をするわけでもないように見えるが、おそらく彼女の周りに居ると楽しいのかもしれないね」。
黒澤明監督は、アカデミー賞名誉賞のスピーチで「映画というものをしっかりつかんでいない気がする」と80歳のときに語ったことがあるが、現在77歳のウディ・アレンは映画に対してどのように思っているのか。「絵画、音楽、ダンス、映画など、どんな芸術の形態であれ、決してパーフェクトにはならない、いつもそれに向けてトライできるだけなんだ。映画製作を終えて、ほぼ良い作品だが満足せず、次回作でパーフェクトに製作しようとして、結局それもパーフェクトじゃなくて、再トライすることになる。人生を通してパーフェクトを追求するが、それを手にすることはできない。手にすることができないことが、むしろ僕はマジカルだと思っているよ」。
先日亡くなった、アメリカを代表する映画批評家ロジャー・エバートさんについて「彼とは仕事を通してずいぶん長い間知人だった。映画批評家としてはいつも優しい人物で、僕が映画製作を始めてすぐの頃、僕を勇気づけてくれたし、他の人々(映画関係者)に対しても同様の対応をしていた。彼は人に厳しい批評家ではなかった。特に僕の場合は、彼が影響力のある批評家だったから、大きな(成功への)手助けになったと思う。彼が(がんの治療であごの)手術をしてからは、ニューヨークにあまり来なくなったが、昔はよくニューヨークを訪れ、僕の家にも彼の素晴らしい奥さんを連れてきて、話したことがあった。彼の死は非常に惜しまれることだろう」。
ここ10年のアメリカの作品で、これが映画芸術だと思えた興味深い作品は「おそらく、マーティン・スコセッシの作品だね。僕は彼の作品一番好きなんだ」。
最後にもし、自分を一言で説明するとしたら「臆病だね(笑)」と答えた。
いつも彼にインタビューする度に思うことは、聞きたいことは山ほどあるが、今回はこれだけしか聞けなかったのは残念。ただこのインタビューで、彼の内面を少しでも垣間見ることができたら幸いだ。 (取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)