アクション俳優・倉田保昭、ブルース・リーこそ原点!その魅力を語る
ジャッキー・チェン作品をはじめとするアクション映画で活躍している俳優の倉田保昭が13日、ブルース・リー没後40年を記念して上映された『李小龍 マイブラザー』のトークショーに出席し、今もなお絶大な人気を誇るブルース・リーの生前を振り返って、その思い出を語った。
香港映画界の名門ショウ・ブラザーズのオーディションに合格したのを機に、カンフー映画に活躍の場を移し、和製ドラゴンと呼ばれて人気を博した倉田。ブルース・リーに初めてヌンチャクを紹介した人物としても有名だ。この日は1972年、ブルースが『最後のブルース・リー/ドラゴンへの道』の撮影でローマに向かう際、倉田が景徳空港(当時の名称)で見送ったときのものという秘蔵の写真を持参し、生前のブルース・リーの思い出を語った。
「ブルース・リーは、実際はど近眼。ハードコンタクトを無くして探しているブルース・リーなんて想像がつかないでしょ」と倉田。「それがアクションが始まるとすごいんです。僕がショウ・ブラザーズでやってきた型とは違って、受けがなく、突き一辺倒。撮影を見て、これは違うなと思った」と話す。
「あのとき(『最後のブルース・リー/ドラゴンへの道』)が一番いいときだった。あの作品がブルースの実像に一番近い。実際、女性も好きだったしね」と言い、代表作『燃えよドラゴン』については「緊張していて、撮影がなかなか始まらなかったそうです。『これが最後のアメリカ映画。復讐できるときだ』と言っていた」と当時の状況も紹介していた。
倉田は「今でも1か月、2か月おきに香港へ行く。向こうではまだまだブルース・リーは消えていないが、日本だとジャッキーの方が人気。だけどブルース・リーこそ原点。ブルースの魅力をもっと知ってほしい」と客席にメッセージ。「カンフー映画の巨匠といわれる関係者の方も皆さん次々に亡くなって、どんどん遠くへ行って寂しい」と時間の経過への寂しさも口にしていた。 (取材・文 名鹿祥史)
『李小龍 マイブラザー』は新宿武蔵野館ほか全国順次公開中