“謀略”という言葉が持つ恐ろしさ! 鈴木邦男、森達也ら有識者が未解決事件を語る
イタリアで実際に起きた爆破事件の真相に迫る映画『フォンターナ広場 イタリアの陰謀』の公開初日を記念して21日、シネマート新宿にてトークイベントが行なわれ、一水会顧問の鈴木邦男、映画監督で作家の森達也、そして司会進行役として、朝日新聞社記者の諸永裕司が登壇。謀略という言葉が持つ危険性や、未解決事件が生む社会的不安の大きさについて熱いトークを展開した。
本作は、1969年、イタリア・ミラノで105人もの死傷者を出したフォンターナ広場爆破事件の真相を追う実話サスペンス。『輝ける青春』などのマルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督ほか、イタリア映画界をけん引する実力派スタッフ&キャストが結集。学生運動が高まる中、捜査にあたった警視の姿を軸にしながら未解決事件に隠された謎を浮き彫りにしていく。
映画の感想について鈴木は、「世界中でこういう事件があったと思いますが、驚いたのは、イタリアは今も事件を追いかけているということ。日本ならもう対応していませんよね」と語り、さらに「ただ、こういう事件を全て『謀略』という言葉でくくってしまうのはあまりにも危険かもしれない」と強調する。
これには他の2人も同意し、諸永は「確かに『謀略』という言葉を使った段階で、思考が停止してしまい、事実関係が吹き飛んでしまう怖さがある。わたしと森さんは『下山事件』についての本も出しているのですが、この2つの事件の共通性は、犯人がわからず、事件が解決していない点。これを意図した人がいるとするなら、社会の不安を膨らませるという狙い通りのシナリオ」と推測する。
一方の森は、映画監督の視点から、「この作品は、生きている人も、死んでいる人も全て実名。日本ではあり得ないこと。アメリカだって実名を出して政権を批判する、それがハリウッドのエンターテインメント作品でも文句は一切出ない。日本は表現側が自ら閉じているところがあって、どこかで抑制されている」と分析。さらに、「日本人は集団化しやすい気質があるので、もう少しその辺りを考えていれば、選挙のときやいろんな法案が出たときも、違った反応ができると思う」と周囲の目を意識し過ぎる国民性を指摘した。(取材・文:坂田正樹)
映画『フォンターナ広場 イタリアの陰謀』はシネマート新宿にて公開中、ほか全国順次公開