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連載第6回 『アラバマ物語』(1962年)

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『アラバマ物語』アティカス・フィンチ(グレゴリー・ペック)
『アラバマ物語』アティカス・フィンチ(グレゴリー・ペック) - Universal / Photofes / ゲッティ イメージズ

 アメリカ映画には、星の数ほどヒーローがいる。近年はアメコミのヒーローが人気を博しているが、インディアナ・ジョーンズからロッキーまで枚挙に暇がない。だが、アメリカ映画協会(AFI)が2003年に選んだ映画ベスト「アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100」で、ヒーロー部門の第1位を獲得したのは、『アラバマ物語』の主人公で”アメリカの良心を体現した”と評されている弁護士、アティカス・フィンチだった。(今祥枝)

 1930年代アメリカ、人種差別や偏見が根強く残る南部アラバマ州。架空の田舎町メイカムで暮らす、妻と死別した弁護士アティカス(グレゴリー・ペック)と幼い娘スカウト(メアリー・バダム)、兄ジェム(フィリップ・アルフォード)のフィンチ一家。兄妹は毎日無邪気に元気に遊びまわり、アティカスは貧しい人々にも公平に接する人柄に人徳も篤(あつ)い人格者だった。そんなある日、地元の判事から白人女性メイエラ・ユーエル(コリン・ウィルコックス・パクストン)に対する婦女暴行事件の弁護を依頼される。容疑者トム・ロビンソン(ブロック・ピータース)が黒人だったことから、フィンチ一家は周囲から誹謗中傷を受けるようになる。ロビンソンに暴行を企てるなど、人々を扇動する中心人物はカニンガムだ。
 町は騒然となる中、裁判が始まる。陪審員は、全員白人男性。アティカスは先入観を持たずに審議するよう陪審員に訴え、淡々と落ち着いた態度で弁護に臨むが……。

 本作は前述のAFIによって、2008年には「最も偉大な法廷ドラマ」の第1位にも選ばれている。だが、映画は幼いスカウトが成長してから、当時の出来事を回想するという形式をとっており、法廷シーンが登場するのは映画開始から1時間もしてから。前半はスカウトとジェムらが元気よく遊びながら、牧歌的な雰囲気のある当時の町のようすが丁寧に描かれる。もっとも、子供の視点からみた大人の世界はなかなかに複雑だ。

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 スカウトは、父親が貧しいカニンガムから弁護費用の一部としてクルミを受け取る場面を目撃したり、家から出たことがなく姿をみたことがない、近所に住む“ブー”と呼ばれる青年が化け物ではないかといった噂を確かめようと冒険ごっこで怖い思いをしたり。さらに黒人を弁護するとなった途端、父が良くしてあげたはずのカニンガムが真っ先に敵に回り、学校ではいじめを受ける。スカウトは一つ一つの出来事の意味は正確にはわからなくとも、知らず知らずのうちに人種差別や貧困など、町に根強くはびこる問題を認識し、社会について学んでいく。

アラバマ物語
『アラバマ物語』より Universal / Photofes / ゲッティ イメージズ

 この前半部が、映画の後半部に非常によく効いている。一見すると平和な田舎町でも、ひとたび黒人男性が白人女性を暴行したとの容疑がかかると抑圧されていたさまざまな感情が溢れ出し、貧困や自分たちの生活、社会がよくないことへの不満は、黒人に対する人種差別=容疑者ロビンソンへ憎しみを向けることへと集約されていく。つまり、この裁判は有罪か無罪かは問題ではなく、黒人というだけでロビンソンは重罪犯であり、まっとうな裁判など開くこと自体が町の住人の多くにっとってナンセンスなのだ。

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 こうした町の状況に、昨年アカデミー賞作品賞を受賞した、19世紀半ばの奴隷制について描いた『それでも夜は明ける』、あるいは今年オスカー候補になった、1965年のアラバマ州セルマに公民権運動のデモ行進のために集まった人々を警官隊が暴力で鎮圧した”血の日曜日”を描いた『セルマ』などの映画を思い起こす人も多いに違いない。また、現在のアメリカ・ミズーリ州のファーガソンで丸腰の黒人少年が警察官に射殺されたことに端を発し、改めて表面化した根深い人種間の問題を考えると、『アラバマ物語』の舞台の状況とアティカスが置かれた立ち場の複雑さ、困難なミッションは想像に難くないだろう。

 ある種ののんきとも言える空気が流れつつ、映画は厳しい現実を突きつける。一部始終をみていたスカウトが、なぜこんな結末になるのかが理解できないのと同様に、観客もまたスカウトと同じように理不尽な思いに駆られる。子供のバイアスのかかっていない素朴な疑問や正義感は、いつの時代にも、とりわけ現代に生きる私たちにこそ、決して忘れてはならない非常に大切な意味を持っていることを痛感せずにはいられない。同時に、弁護士として、ひとりの人間としてブレることのないアティカスは、子供たちにとってヒーローであるとともに、アメリカ人が最も身近に感じ、理想とする”正義”のあり方なのだろう。

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 原作は、1960年に発表されたハーパー・リーの同名の自伝的小説の映画化『アラバマ物語』(原題:To Kill a Mockingbird)。1961年度のピューリッツァー賞を受賞したベストセラー小説で、半世紀以上経った現在に至るまで広く親しまれているという。もっとも、今読むとこの物語、そして映画は、リベラルでありながら白人の家父長的な価値観を描いているとの見方もあるらしい。また、ラストにもうひとつ、フィンチ一家にある事件が起きるのだが、その結びのエピソードにこそ、アメリカ人が求める社会のあり方、原題が意味するメッセージを読み取ることができるとも言える。だが、ここはやはり、アティカスが体現する”アメリカの良心”を素直に受け取りたいし、そうするべきだとも思う。

 主演のグレゴリー・ペックは、『ローマの休日』(1953年)や『ナヴァロンの要塞』(1961年)から『オーメン』(1976年)まで、ヒット作は多数。その知性と人望に政界進出の噂も周囲から出たというが、実直で誠実、意志が強く子供にも大人と同じ目線で接するアティカスは、ペック自身のイメージにもハマっている。

 第35回アカデミー賞では、作品賞を含む8部門の候補となり、主演男優賞ほか3部門で受賞。ちなみに、このときペックと名を連ねた候補者は、『アラビアのロレンス』(1962年)のピーター・オトゥールや『酒とバラの日々』(1962年)のジャック・レモン、『終身犯』(1961年)のバート・ランカスター、『イタリア式離婚狂想曲』(1961年)のマルチェロ・マストロヤンニと知ってびっくり。誰が受賞してもおかしくない顔ぶれだが、演技もさることながら、当時のアメリカにおけるアティカス=ペックへのシンパシーは相当なものだったのだろうと推測する。

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 プロデューサーは、のちに監督デビューし、『大統領の陰謀』(1976年)や『ソフィーの選択』(1982年)などの秀作を生み出すアラン・J・パクラ。原作に感銘を受け、一緒に仕事をしたことのあるロバート・マリガン監督に映画化を持ちかけ、実現した企画だった。

 パクラたちは、主役のペック以外はあえて知名度の低い俳優を起用している。特に子役は慎重にオーディションが行われ、スカウト役には映画監督ジョン・バダムの実妹メアリー・バダムが抜擢された。ほぼ演技初体験ながら生き生きとしたチャーミングなスカウトを演じ、わずか10歳で助演女優賞にノミネートされた。また、オスカー俳優ロバート・デュヴァルが本作で映画デビューを果たしており、出番は少ないが強い印象を残している。

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