建築家・伊東豊雄、安藤忠雄と参加した国際会議の悔しい思い出を明かす
有名建築家たちが日本建築について本音で語るドキュメンタリー映画『だれも知らない建築のはなし』の公開記念トークイベントが、26日に東京・青山ブックセンター本店で行われ、建築家・伊東豊雄が、建築史家・五十嵐太郎氏、石山友美監督と共に出席。伊東は国際会議での緊張の瞬間や、安藤忠雄とのエピソードを赤裸々に語った。
1982年に名だたる建築家が集った建築の国際会議「P3会議」を中心に描く本作。この会議に日本からは磯崎新が、安藤と伊東を抜てきして参加。伊東は「磯崎さんに『今度こういう会議があるから来い』と言われて、メンバーを見たらすごい名前ばかりでビビりましたよ。5分で自分のプロジェクトをプレゼンして、その後の25分間全員からの批評に応えるのを繰り返すんです。僕は明確なプロジェクトもなく、自宅の建築案(後に「シルバーハット」と呼ばれる1980年代の代表作)を急きょデッチあげて持って行った。そうしたら『なんだこれは。批評に値しない』と言われ、悔しいから絶対作ってやると思った」と当時を振り返る。
続けて伊東は「一番の被害者は安藤さんだった。『住吉の長屋』(安藤の初期代表作)をプレゼンし終えると、レオン・クリエという建築家がゆっくり無言で拍手して。僕の感覚では3分ぐらい続いた。そして『これは牢獄だ』と一言。僕も安藤さんも英語が苦手なので、ひたすらニコニコしながら、仲良く寄り添っていました」と話すと、場内から爆笑が。「会議の後ニューヨークに行って、お金がないから3日間安藤さんと同室で寝泊まりして。そんな経験があるとコンペで争っても、どこか許せる仲間意識が今もあります」と打ち明ける。
その後80年代にポストモダニズム建築が隆盛したことを五十嵐氏が、「モダニズムの合理主義が、人から愛されない建築を作ってしまった反省から、人に愛され受け入れられる建築を目指したのがポストモダニズムだったのでは」と分析すると、伊東も「80年代の東京は一番好きな時代です。今はグローバル経済によって世界中が同じ街になり、建築はますます巨大化し、建築家があえてやるべき仕事はなくなってきた。そんな中建築に未来があるとすれば、自然から切り離された都市より地方の田舎で、そこに住む人たちと一緒に作っていくものの方だと思うんです。『コミュニティデザイン』(人のつながりを目的としたデザインの意)という言葉を使わずとも、人と環境の中に入っていける建築が、だいぶ先かもしれないけれどできるかもしれない」と熱い希望を語っていた。(取材・岸田智)
映画『だれも知らない建築のはなし』は公開中