元陸軍パイロット、米爆撃機B-29との壮絶な戦いを語る
終戦から70年を迎えた15日、さまざまな証言と検証を重ねながら戦争の真実に迫るドキュメンタリー映画『ひとりひとりの戦場 最後の零戦パイロット』が都内・渋谷ユーロスペースで公開され、楠山忠之監督と、特別ゲストとして元陸軍航空隊・隼(はやぶさ)のパイロット関利雄さんが登壇。実際に太平洋戦争を経験した関さんは、アメリカの爆撃機B-29との命懸けの攻防戦について熱く語った。
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本作は、日中戦争の南京爆撃や太平洋戦争の真珠湾攻撃などを歴戦した今年99歳になる元海軍航空隊・零戦パイロット原田要さんの証言をはじめ、日米双方の戦争経験者や研究者への取材を通して、戦争の真実を追及する渾身(こんしん)の一作。『陸軍登戸研究所』で藤本賞・奨励賞を受賞した楠山監督がメガホンを取り、今後、本作のシリーズ化も視野に入れながら、現在も取材を継続中。今回、ゲストとして出席した関さんにもインタビューを敢行している。
91歳になる関さんは、昭和15年に陸軍の少年航空隊に入隊後、厳しい実践教育を経てパイロットになった。飛行は想像以上に過酷だったという関さん、例えば航続距離は、「計算上は1日7時間、2,000kmは楽に飛べるはずですが、体がもたない。実際は、3時間で1,000kmが限界」と吐露。高度についても、「B-29が初めて偵察に来たとき、高度5,000mまで上がったんですが、B-29はさらに上を行き、酸素がもたなかった。そこで酸素発生剤を開発していただき、なんとか戦闘が可能になった」と振り返る。また、急降下や急旋回するときも、「血液が頭からお腹にいって失神することも」とその恐怖を伝えた。
その後、派遣隊を編成し、さまざまな戦地で命を削った関さん。これまで経験した中で最も厳しい戦闘について、「昭和20年2月1日、海軍の巡洋艦2隻を爆撃するために、シンガポールの上空にB-29が23機やってきたときですね」と顔を曇らせる。「こちらは飛べる戦闘機が2機しかなかった。そのとき、わたしが上空に向かったのですが、たまたま情報が早く入り、敵が来るまで時間があった。高度5,000m上がったところで編隊が見えたので、至近距離まで近づいて先頭機に機関砲を撃ち込み、それがエンジンに命中。気が付けば、わたしの戦闘機にも8発の弾が当たっていた」と生々しい体験を語った。(取材:坂田正樹)
映画『ひとりひとりの戦場 最後の零戦パイロット』は渋谷ユーロスペースにて公開中