生涯監督作は14本…トラブルメーカー、サム・ペキンパーを映画監督の原田眞人が振り返る
映画監督の原田眞人が26日、渋谷のシアター・イメージフォーラムで行われた『サム・ペキンパー 情熱と美学』初日トークイベントに元キネマ旬報編集長の植草信和とともに来場、実際にペキンパー監督にインタビューした当時を振り返った。
サム・ペキンパーにインタビューした時を映画監督の原田眞人が振り返る 画像ギャラリー
『ワイルドバンチ』『わらの犬』など数々の傑作を生み出した映画監督サム・ペキンパー。革新的なスローモーションによるバイオレンス描写などで多くの映画ファンたちを魅了しながらも、ハリウッドのトラブルメーカーという悪名も影響し、生涯で残した監督作はわずか14本のみという孤高の映画監督である。本作はそんなペキンパーについて、ペキンパー自身のインタビュー映像はもちろんのこと、アーネスト・ボーグナイン、ジェームズ・コバーン、クリス・クリストファーソンなど同時代を生きた俳優たちの証言なども交えて語られるドキュメンタリー作品となっている。
黒澤明監督の映画『羅生門』を好むなど、ペキンパーは親日家だったと切り出した原田は、「友人の日本人女性がペキンパー監督の通訳をやっていて、ものすごく気に入られていた。彼女は小柄だったけど、ウイットに富んでいて、ペキンパーは彼女のことをマイ・リトル・ニンジャガールと呼んで親しんでいました。ただ彼女は若くして亡くなってしまった。日本に来た時にそれを知らされたペキンパーは、大酒を飲んで荒れていたということを後に聞きましたね」と述懐。
さらに「彼はもともとはシャイな人なんです。しかし監督として成功するために、シャイな自分を押さえつけて、現場でもマッチョを気取るんですよね」と指摘した原田。『コンボイ』(1978年)公開時にペキンパーにインタビューを行った時のことを振り返り、「インタビューをした日は機嫌が悪かったらしく、ペキンパーはわれわれに『これからあいつらをやっつけるからそこで座って見ていてくれ』と言って、われわれを観客にして、外国から来たテレビクルーにいたずらをするわけです。そういうたくらみが大好きなんですね」といった逸話を紹介するも、「もっと彼と映画の話をしたかったですね」と付け加えた。そして最後に原田は「今はペキンパーのようなタイプの人は出てこないでしょうね。彼は人の死、人の尊厳を大事にした、正真正銘の映画作家でした」と締めくくった。(取材・文:壬生智裕)
『サム・ペキンパー 情熱と美学』は全国順次公開中