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原節子、27年の女優生活と53年の空白

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写真は小津安二郎監督作品『東京物語』より
写真は小津安二郎監督作品『東京物語』より - New Yorker Films / Photofest / ゲッティ イメージズ

 9月に95歳で逝去していたことが、報じられた女優・原節子さん。「永遠の処女」と呼ばれるほど清潔なイメージと、日本人離れした顔立ちとプロポーション、容姿に劣らない演技力で日本映画の黄金期に黒澤明小津安二郎といった巨匠の作品に出演した。

 1920年に横浜で生まれた原さんは、15歳でデビュー、アイドル女優として女優生活のスタートを切った。日独合作の『新しき土』(1937)ではアーノルド・ファンク伊丹万作共同監督の下で、国際的な俳優・早川雪洲と共演を果たし、これをきっかけにスターの地位を確立。戦後は黒澤監督『わが青春に悔なし』(1946)、小津監督の『晩春』(1949)、今井正監督の『青い山脈』(1949)などで演技が再評価されるに至り、戦後民主主義的な女性像としても活躍した。

 中でも小津監督は、原さんの演技に絶対的な信頼を寄せていたようで『晩春』を含む6作品で起用。特に『東京物語』(1953)は、絶大な評価を受け、原さんの清潔で奥ゆかしい女性としてのイメージを不動のものにした。

 かたや、成瀬巳喜男監督の『めし』(1951)では生活感のある役柄を、黒澤監督の『白痴』ではドストエフスキー原作の重厚なドラマの中で高慢なヒロインを演じきるなど、時代や作品によってさまざまな役を務めた原さんだが、1962年の『忠臣蔵 花の巻 雪の巻』を最後に引退。その理由についてあらゆる憶測が飛び交ったが、亡くなるまでの半世紀、本人の口から事実が語られることはなかった。(編集部・那須本康)

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