フランス名女優イザベル・ユペール演じることの神秘を語る
27日に閉幕した「フランス映画祭2016」の団長として、約10年ぶりに来日したフランスを代表する名女優イザベル・ユペールが、主演の新作『愛と死の谷』のギョーム・ニクルー監督、今年カンヌ国際映画祭「ある視点部門」審査員賞を受賞した『淵に立つ』の深田晃司監督とともに25日、都内で同映画祭のトークイベント「マスター・クラス『現代映画における演技と演出』」に登壇。3人は映画製作で生じる神秘的なミラクルについて、そして俳優や監督が果たす役割について刺激的な会話を展開し、会場を盛り上げた。
ジャン=リュック・ゴダールの『パッション』、ミヒャエル・ハネケの『ピアニスト』、クロード・シャブロルの『主婦マリーがしたこと』など、巨匠の作品に多数出演してきたイザベル。一方、ギョーム監督は、人気作家ミシェル・ウエルベックの失踪事件を題材にした『ミシェル・ウエルベック誘拐事件』(2013)でベルリン国際映画祭にて注目された気鋭だ。イザベルとジェラール・ドパルデューの35年ぶりの共演でも話題の新作『愛と死の谷』は、自殺したはずの息子から届いた手紙の指示に従って、離婚した元夫婦が荒涼たるアメリカ・デスバレーで再会する1週間を描く。
「複雑な役柄について、お二人はディスカッションしたのですか?」と問いかける深田監督に対し、イザベルは「議論は、ほとんどしないです。ギョーム監督のそういう姿勢が好きです」と答えた後「脚本は作品の情報を俳優に知らせる材料ですが、撮っていると、脚本にない、誰も知らない何かが降ってくることがあります。偶然の光、音、リズムなどがイメージになり、ミラクルを作る。だから演者は、すでに知っていることを演じるより、やがてミラクルが起こると信じ、それを待つのが仕事なんです。すべて波まかせに進む船に乗り込むかのようです」と俳優と映画の神秘的な関係を描写する。「偶然のイメージが集まって、映画は脚本以上のものを語り始めます。よい演出とは、個々の演技についてではなく、人物と人物、人物と世界の間に生まれる何かに気を配ることですよね」とギョーム監督を見てニッコリ。
これにギョーム監督も「脚本が、イザベルやジェラールという肉体を持つんです。俳優によって脚本は姿を変え、やがて俳優にすべて食べ尽くされてしまいます。そうしたら、脚本はもう私のものではありません。俳優は特別な存在で、映画の中で実際に生きている状態になります。だから役について(イザベルに)一切話さないし、リハーサルを繰り返しません。コントロールするのをやめました」と哲学的ともいえる演出論を語る。
さらにギョーム監督は「15本ほど映画を撮り、最近の5、6本でこうなったんです。『監督(ディレクター)』という言葉には、(道を示す)教師のイメージがありますが、私は監督であることを拒否し、監督は答えを持たなくていいし、必ずしも正しくなくていいと思うようになりました。真摯にリスクや不確実さに向き合い、より多くの自由を確保すればいいと。深田監督の『淵に立つ』にも同じものを感じました」と深田監督に水を向ける。
大女優と先輩監督そして日本の聴衆を前に、進行役を務めていた深田監督も「私も、映画の2時間のなかで、1つの答えを出してしまえると考えることが、好きではありません。特に明日、世界がどうなっているかわからない現在の生活で(それはどうか?)。作品を観た後の観客の想像力のなかで、ふくらむものを作りたいです」と信条を明かす。イザベルも「『淵に立つ』は疑問を持たせる終わり方でした。でも本当のところ、あの少女はどうなったの?」と食い下がり、日本公開がまだだと知ると「毒リンゴに手をつけてしまった」とキュートに苦笑いし、会場を笑いに包んでいた。(取材/岸田智)
映画『淵に立つ』は10月上旬、有楽町スバル座ほかにて全国公開