カンヌ受賞・深田晃司監督「なぜ映画を作るのか?」日中共通の問題点を語る
中国・上海市で開かれた第19回上海国際映画祭で、アジア映画界の新しい才能を発掘することを目的に設置されている「アジア新人賞」部門の審査員を務めた深田晃司監督が現地で取材に応じ、成長著しい中国の映画祭に参加した印象や、海外映画祭に出品する意義について考えを明かした。
■後進に道を与えることが映画監督の仕事の一つ
最新作『淵に立つ』(今秋公開)が5月のカンヌ国際映画祭で「ある視点」部門審査員賞を受賞したことも記憶に新しい深田監督。「映画祭の役割とは何だろう? と考えると、必ずしも興行的に大ヒットするような映画ではない、作家性の強い作品に価値を与えることで、その作品が独り立ちしていくための後押しをすることだと思っているんです」と語る。
自身も映画祭で数々の賞を与えられたことで、キャリアを重ねてくることができた。「後進に道を与えていくことも映画監督の仕事の一つ。映画業界の中で、最も弱い立場にあるのが新人。ネームバリューがないがゆえに資金も集まりづらく、作品が作りにくいので、『アジア新人賞』というのは、ある意味、映画祭の映画祭たる役割が凝縮している部門じゃないかなと思います」。
■「なぜ映画を作るのか?」日本と中国の映画に共通する問題点
審査員長を務めた香港のイー・トンシン監督(『つきせぬ想い』『新宿インシデント』など)らとともに、中国、台湾、インド、韓国、日本などから選ばれた16本を審査した。中国からは、新人監督の作品ながらスター俳優が出演する大作娯楽映画や、既に興収約130億円の大ヒットを記録している映画も選出されており、「選考基準がちょっと見えづらかった部分はありますね」と少し戸惑ったことを明かす。「上海映画祭が、商業性の高い祭典だということと、作家性とのバランスで、相当苦労しているんだろうなという印象を受けました」。
ただ、「映画祭はアートフィルムのためにあるもの」という認識で、審査員の思いは一致していたという。「大作のお金のかけ方やクオリティーの高さは中国映画の勢いを示すものだったと思うのですが、インディペンデントな作品はどうしてもテーマが狭いと感じました。それは今回たまたまだったのかもしれませんが、インドやイスラエル、台湾などの映画にくらべると、作品自体が小さくまとまっていると感じた。政治的問題を扱えないとか、いろいろと厳しい条件がある中でリスクを回避しているからだと思いますが、それはそのまま政治性の高い作品に“自主規制”をかけてしまう日本映画にも言えることかもしれません」。
映画に欠かしてはいけないのは、「監督自身の世界観でその世界を切り取れているかどうか」だと深田監督は言う。「技術の上手い下手よりは、その監督にしか撮れない作品であるかどうかのほうが、映画祭では評価されるべきだと思います。ビデオカメラひとつで誰でも映画が撮れる時代になりました。じゃあ、『なぜ映画を作るのか』という部分が問われてくる。そういう部分の見えづらい作品が、今回審査した中国映画や、正直日本にも多いと思います」。
■助成金制度の充実が映画の多様性を守る
ただ、そこには映画という芸術が伴うリスクの高さも関係すると理解を示す。「映画を1本撮ろうとすると、数千万円から数億円のお金がかかる。ヨーロッパや韓国は助成金という形でそのリスクを抑えることで、映画の多様性を保とうとしている。だけど、日本の場合はそうした制度が整っていないがゆえに、テレビで顔を知られている有名な俳優を使わなければいけないとか、皆が知っている原作を使わなくちゃいけないといった考え方になってしまう。日本のように製作費のすべてを劇場収入とDVDやテレビ放映などの二次使用のお金で回収しなくてはいけない体制では、多様性は育ちにくいですよね。イー監督に聞いたところ、中国の場合は、年間700本ぐらい映画が作られているけれども、検閲を通って公開できるのは300本あまり。リスクを抑えるためにも、どうしても尖った題材は扱えなくなってしまうのかなと思います」。
■海外映画祭出品はご褒美ではない。次のステップにつなげる場所
今年のカンヌだけではなく、深田監督の作品は『ほとりの朔子』(2013)でナント三大陸映画祭のグランプリを受賞するなど、国際映画祭でいずれも高い評価を獲得してきた。海外の映画祭に参加する主なメリットを、監督は3つあげる。
「まず、単純に『箔が付く』ことで国内外での宣伝に結びつきます。映画祭的価値観がもちろんすべてではありませんが、ある程度のクオリティー保証にはつながります。もう1つは、海外の映画人と話していると、単純に当たり前だと思っていた日本のシステムが当たり前じゃないことに気づくなど、より多角的な視野を持つことができるようになること。そして、僕はこれが一番大事だと思うんですけど、映画祭というのは、作家性の高い映画が産業として独り立ちできるよう、後押しされる場所だということ。若い監督には、映画祭に行くことを1つのご褒美のように考えてしまう面があるのですが、本来はプロデューサーと知り合ったり、その国での配給を決めたりすることで、作品をさらに国際的に広げていける場所であり、作家自身が次のプロジェクトにつなげていくための場所でもあるのです」。
そして、海外映画祭を目指す若手に対し、次のように提言してくれた。「だから、せめてペラ1枚でもいいから、次の企画の資料を英訳して持って行くべき。そこでもしかしたら、次の作品のプロデューサーや出資者が見つかるかもしれない。作家は自分がどうやって持続・継続的に映画監督として生きていけるかという視点で、映画祭を利用しなくちゃいけないと思います」。(新田理恵)