紛争地ガザで初撮影 死の匂いに罪悪感…それでも希望を描いたワケ
映画『オマールの壁』で、第66回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」審査員賞に輝いたハニ・アブ・アサド監督が、最新作『歌声にのった少年』のプロモーションのため来日し、都内でインタビューに応じた。これまで『パラダイス・ナウ』や『オマールの壁』で、占領下のパレスチナに生きる若者の苦悩と挫折を骨太の社会派ドラマに仕上げ、国際問題に鋭く切り込んできたアサド監督が、「本作では、生きる希望を描かなければと思った」と語ったように、歌手になる夢を抱いて紛争地を飛び出し、人々の期待の星になっていく少年の実話を題材に新境地を開いた。
その少年というのは、人気オーディション番組「アメリカン・アイドル」の中東版「アラブ・アイドル」で2013年に優勝し、アラブでは知らない人がいないほどのスーパースターになった歌手ムハンマド・アッサーフのこと。本作は、パレスチナ・ガザ地区で育ったムハンマドが、少年の頃に抱いた「スターになって世界を変える」という夢に大人になって再び挑戦し、さまざまな障壁を乗り越えていく姿を明るく描き出す。
「ムハンマドの存在を知ったのは、ちょうど『オマールの壁』がカンヌで上映された頃で、彼がコンテストで優勝した瞬間はテレビで見たよ」と振り返るアサド監督。彼が紛争地のガザからコンテスト会場のカイロ(エジプト)に向かう途中、検問所で違法ビザを見抜かれ、その場でコーランを歌ってみせると「神に祝福された声」として入国を許された逸話をはじめ、神が背中を押したとしか思えないムハンマドの奇跡の実話にワクワクさせられる。
「彼がたどってきた半生にとても心を動かされたね。イスラム教徒もキリスト教徒も、老いも若きも、彼の歌声を楽しむために1つに集まった。それを見たとき、これは本当にすごいことだと感じた」と続けるアサド監督は、「私がカンヌで受賞したのは、自分の勝利でしかなかったが、ムハンマドの勝利は人々の希望を代表する、みんなのための勝利だった。自分がアーティストとして果たすべき役割は何かということを、彼に気づかされた」と彼への共感を惜しまない。
紛争が続く故郷で、音楽とともに明るく生き抜く少年時代のムハンマド、その姉、バンド仲間の友人らを演じたのは、全員がガザ地区に暮らす少年少女たち。オーディションで選ばれ、映画初出演を果たした彼らのピュアな笑顔とみずみずしい演技は必見だが、本作では国際的映画で初とされるガザでのロケ撮影も敢行している。「ガザで3日間の撮影を行って、破壊の爪痕が生々しく、つい最近(2014年のガザ紛争)も何千人という人が(爆撃により)ここで亡くなり、死の匂いが立ち込める場所にカメラを担いで立っていることに罪悪感を感じた」と大きな心労があったと述懐するアサド監督。その罪悪感を「他人のとてもつらい物語を、自分のストーリーテリングに利用していることに伴う恥の感覚」とも表現する。
だが、その罪悪感はアーティストが引き受けなければならないものとも言うアサド監督は「アートには、廃墟の中にあって、醜いものから美しいものを紡ぎ出すという役割があり、それがこの映画の根本のメッセージでもある」と明かす。「中東は今、かつてないほど混乱したダークな時代になってしまったが、だからこそ希望を描き、生き続けることを励ます作品を作ることが自分の役割」「政治によって不幸に分断された人々を描いたのが前作(『オマールの壁』)とすれば、ではどうしたら人々は救済されるのかを描いたのが本作。だから本作は、前作の答えと言えるかもしれない」と力説し、「不公平と不正義の前で、希望をもって生き続けることが一番の抵抗になるはず」と熱く語っていた。(取材/岸田智)
映画『歌声にのった少年』は9月24日より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開
ハニ・アブ・アサド過去作『パラダイス・ナウ』が渋谷アップリンクにて上映中(終了日未定)