『時をかける少女』原田知世ブレイクの理由、大林宣彦監督が語る
7月30日より開催中の角川映画祭で初期の代表作6本が上映される大林宣彦監督が、大ヒット作『時をかける少女』(1983)でブレイクした原田知世の秘話を明かした。
薬師丸ひろ子、小林聡美、原田知世、富田靖子ら1980年代に多くのスター女優を輩出し、女優の演出に定評のある大林監督にとって、女優を選ぶときの条件は「目だけを見ればいい」というのが持論。「ヘアメイクや衣装で外見を変えられても、目だけは本人がメイクするしかない。つまり本人が今、どんな本を読んで何を考えているのか、この時代をどう思っているのか。その人の心が目に表れるわけで。だから目のメイクっていうのはその人の心なんですよね」とその理由を説明しながら、「目が小さい原田が女優になったのは奇跡」だという。
原田のスクリーンデビュー作『時をかける少女』で、原田の目を輝かせたのはスタッフの力だ。反射光が入らない原田の小さな目を光らせるため、照明部が時間をかけてライトをセットの上に上げた。さらに、撮影部はライトの光が目に当たるように床を掘って移動車のレールを敷いた。「ものすごく手間暇がかかるんだけど、スクリーンでは目が横幅数メートルにもなる。それが真っ黒の洞穴か、真ん中にきらっとした光があるかで全然映りが違ってくる」というわけだ。
しかし、そうしてスタッフが一丸となった情熱の源は当時、15歳の若さでハードスケジュールを乗り切った原田のひたむきにある。撮影に入る前、大林監督は原田を中学校の卒業式と高校の入学式に出席させることを決めており、そのために40日かかるところを28日で撮影を終えるタイトなスケジュールとなった。撮影の4時間前に起床する必要があるため寝る時間はなかったが、食事を兼ねて打ち合わせをすることが多かったため一日10食ほどはもうけられていたという。深夜、疲れがたまったスタッフが食欲をなくす一方、原田は豚汁を3杯もたいらげ、「これから大事なシーンを撮るのにセリフの練習をしようとしたら豚汁が出ちゃいそうだから、一所懸命おなかに収めているんです」と縄跳びをしていたというほほ笑ましいエピソードも。
「だから、僕は彼女に『君がここまで人気が出て女優になれたのは、君の胃袋のおかげだよ』と言いました」と笑う大林監督。当時、採算度外視でローバジェットで製作された本作は約28億円のヒットとなり、大林監督と再タッグを組んだ『天国にいちばん近い島』(1984)、バブル時代に製作された青春映画『私をスキーに連れてって』(1987)、『彼女が水着にきがえたら』(1989)などで成功をおさめ、瞬く間にスターになった。「知世ちゃんがおばあちゃんになったころにまた一緒に作りたいね」と語っているように、いつの日かまた名コンビが実現する日がくるかもしれない(数字は配給調べ)。(取材・文:編集部 石井百合子)
角川映画誕生40年記念企画「角川映画祭」は角川シネマ新宿にて開催中(全国順次開催)