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名画プレイバック

フランシス・レイのメロディーがあまりにも有名な恋愛映画の金字塔『男と女』(1966年)

名画プレイバック

「ダバダバダ、ダバダバダ……」のメロディーで知られる映画『男と女』
「ダバダバダ、ダバダバダ……」のメロディーで知られる映画『男と女』 - Allied Artists Pictures / Photofest / ゲッティ イメージズ

 本編は見たことなくても、フランシス・レイによるサウンドトラック、特に男女のスキャットが全編に流れるテーマ曲は誰でも一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。そして、大人にならなければわからない味のある映画。それがクロード・ルルーシュ監督の『男と女』だ。(冨永由紀)

映画『男と女』ため息のでるような美しいシーン

 舞台となるドーヴィルは避暑地で、夏は賑わうが、シーズンオフは寂れて静か。霧に包まれた人影もまばらなビーチで幼い娘に「赤ずきん」のお話を聞かせる女性がいる。次に、車の助手席に乗り込み、“運転手”に次々と違う指示を出し続ける男性が登場する。実は運転しているのは年端もいかない彼の息子で、男性は途中からハンドルを握り、砂浜で車を走らせる。映画はまず、まだ出会っていない男と女の“親”としての顔を見せ、その夜に2人が知り合う場面を用意する。まだ幼いわが子を寄宿学校に預け、パリ住まいという共通点のある2人ーーアンヌとジャン・ルイは、彼の運転する車でパリに戻るのだ。

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 車中で知り合ったばかりのジャン・ルイに、いきなり夫との馴れ初めから大恋愛、さらに彼が事故死したことまで語るとは、それだけすぐに心を開ける相手ということなのだろうか。一方、聞き役に徹するジャン・ルイの身の上はその直後に観客には映像で説明されるが、アンヌは彼については何も知らないまま、翌週も彼の車でドーヴィルへ向かう。

 いわゆるママ友パパ友から始まる2人の職業は、女は映画の撮影現場でのスクリプト、男はカーレーサー。共に伴侶を亡くしている。「月9?」「韓流?」と突っ込まれそうなドラマチックな設定も、華があるアヌーク・エーメジャン=ルイ・トランティニャンなら無理なく通用する。子供の存在がなければ何の接点もなかった2人が惹かれ合っていく様子を、会話の積み重ねと眼差しで描いていく。まるで演者が自分の言葉で話しているかのような会話、特に俳優という職業について語り合う場面でのそれぞれの意見が興味深い。時折挟み込まれるジャン・ルイの手のショットが、2人の距離が少しずつ近づいていくのを示す。

 カラーとモノクロ映像の入れ替わりがドラマをより盛り上げるが、これは予算の都合で屋外をカラー、屋内をモノクロで撮ることにした結果だという。望遠で撮ったロングショットは、同時録音の中で余計な物音を拾わないため。苦肉の策の一つ一つが功を奏した。

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 子役2人も名アシストだ。娘に「赤ずきん」は悲しすぎると言われたアンヌが「じゃあ何のお話がいい?」と聞くと、もっと残酷な「青ひげ」という答えが返ってくる。2組の親子4人でランチに出かけると、ジャン・ルイの息子は大張り切りでお喋りし、スペイン語や英語を披露する。子供たちの言動の突拍子のなさは実にリアルで、操り人形のようなわざとらしさはなく活き活きとしている。2度目のドーヴィル訪問時には、子供たちはほとんど親同士が逢うための口実になりかけているのだが、子役2人の自由な振る舞いが、大人の俳優たちを自然に“親”に戻す瞬間があり、それは男と女になりきれずに揺れている2人を表すようでもある。

 そんな状態から、先に一歩踏み込んだのはアンヌだ。モンテカルロ・ラリーで優勝したジャン・ルイに彼女はパリから電報を送る。それを読み、彼は泥に汚れたままの車を飛ばしてパリに向かう。運転しながら再会のシミュレーションをするシーンも秀逸。運転席で前を見つめるジャン・ルイのアップにヴォイス・オーヴァーのモノローグが重なるのだが、無表情の内側に浮き足立つ心が隠されていることがよくわかる。彼女に会ったらこう言おう、こうしようと策をめぐらす。日本ではママ友同士は互いの名前ではなく「○○ちゃんママ」と呼び合うと言うが、彼が自ら「アントワーヌのパパ」と名乗ることを思いつき、名案と考えるのはちょっと面白い。

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 アンヌがジャン・ルイに電報を送るシーンも、今見ると感慨深い。50年前、これほど親密なメッセージを早急に送るには、赤の他人にその全貌を明かすのが前提だったわけだ。自分の手中の端末からよく考えもせずに発信するより、もう少しよく考え、慎みもあっただろう。ことさらに昔を美化したくはないが、現代は本当にロマンチックではないと思う。

 それにしても、フランス人はやはり恋に生きる人たちだ。恋をすると、他のすべてを放り出す。祝ってくれる仲間も、それまで付き合っていた相手も。ジャン・ルイも、一般人が迂闊に真似したら大変なことになりそうな方法で、部屋のベッドで自分を待っていた女性に別れを告げる場面がある。

 9月3日公開の最新作『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)』に至るまで、ルルーシュの映画は常に、愛と恋が別物であると感じさせる。もっとも、厳密に両者を分けるのは難しく、どちらも「アムール」で言い表せてしまえるので、その言葉の扱いをめぐって2人の間で、本人たちも意識しない勘違いや誤解が生まれもする。アンヌが愛している相手と恋する相手は別人なのだ。ジャン・ルイと抱き合いながら、頭の中には亡き夫との思い出があふれている。人生をかける愛は一つだが、恋は何度でも経験するという発想。苦い気まずさや、そんな矛盾をはらむのが大人の恋、そしてその恋が愛へと昇華することもある。白黒をつけないずるさと苦しさは、年を重ねていくにつれて見えてくる境地なのかもしれない。

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 二枚目のジャン・ルイと出会っても、アンヌが忘れられない夫ピエールを演じたのは、いかつい容姿に柔らかくセクシーな声を持つピエール・バルー。テーマ曲を歌っているのも彼だ。アンヌとピエールのシーンで見せるアヌーク・エーメの表情が本当に幸せそうなのだが、実はこの作品での共演をきっかけに2人は実際に結婚した。3年で離婚してしまったが、撮影中はまさに恋が盛り上がっている最中だったはずで、バルーを見つめるエーメのとろけるような視線がトランティニャンに向けるものとは面白いように違う。

 1人の男を愛し続けながら、別の男に愛される喜びも捨てきれない。女性の心理に迫っているようで、実は徹底的に男にとっての理想の女を描いているのかもしれない。それでも一途なトランティニャンにはほだされるし、何より匂い立つようなエーメの美しさに胸を打たれる。カンヌ国際映画祭のグランプリ、アカデミー賞外国語映画賞および脚本賞を受賞した、まごうことなき恋愛映画の名作だ。

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