中野裕太、俳優業1本で行く覚悟決めていた ブレイクキャラは「完全に忘れられてもいい」
映画『新宿スワンII』でキレキレの俳優たちの中で強い存在感を示し、ドラマ「拝啓、民泊様。」でも新井浩文とのタッグで味のある演技を見せた俳優・中野裕太。役者を志して芸能界入りしながら“高学歴タレント”としてブレイクし、バラエティー番組などへの出演が続いた彼だが、2014年に俳優業1本でやって行くことを決意した。「甘い世界じゃないとわかっていたし、完全に忘れられてもいいと思った」という決死の覚悟の挑戦。そこにはどんな思いが込められていたのだろうか。
「自分には、お金もらってご飯を食べさせてもらえる仕事って役者しかないんです」と中野が語る俳優業。たどり着くのは簡単ではなかった。最初に役者を意識したのは中学2年のとき。役者志望だった父親の影響からか、漠然と「役者になりたい」と思ったという。親からは反対されながらも、高校時代に留学したアメリカで演技レッスンを受け、その思いは大きくなっていったが、留学から帰った高3の夏、家庭で大きな問題が生じ“夢”を語るような状況ではなくなったという。「奨学金をもらえる大学があったので、4年間通いながら、なんとか俳優業に挑戦したいと思いました」。
大学入学後、モデル事務所に所属。俳優業へのチャンスは何度かありながらも、さまざまな事情で道は開けなかった。中野は「その時は、役者になるという風が吹いていなかった」と当時を振り返るが、縁があり特撮ドラマ「仮面ライダーキバ」への出演が決まる。念願の俳優業で、「自分の芝居の下手さにびっくりした」と中野は苦笑いを浮かべる。事務所も移籍し、役者としての下地を作ろうとしたが、自身の知名度を上げることになったのはバラエティー番組への出演だった。留学経験を活かし語学が堪能な高学歴キャラ、言い方を変えれば“高飛車キャラ”がハマった。
「バラエティーって芸人さんとかおしゃべりが堪能な方が多く、僕みたいな人間は、複数あるレイヤーの中で、わかりやすいもので勝負しなければいけないと思ったんです。僕自身、社交的じゃないし、あるものの中で、デフォルメして必死でやらないと追いつけない。今あることに全力で取り組もうと思ったんです」。そうして見つけたのが“高学歴キャラ”だ。中野の言動や振る舞いは反響を呼び、注目されたが「ネットでいろいろなことを書かれましたし、中傷されたことも覚えています。傷ついてナーバスになったこともありました」と胸の内を明かす。
そしてある決断を下す。バラエティーの仕事を断り、俳優業に専念することだ。「中学2年の時にわいてきた思い。いろいろありましたが、常に自分の中にずっとあったこと。バラエティーを経験させていただきながらも、ずっと芝居のレッスンはしていました。ちょうど3年前、『今がいい時期なのかもしれない』と思い、マネージャーに相談した」という。世話になったバラエティー番組のプロデューサーには、迷惑をかけないようにと自分で話をした。もちろん、生半可な決意ではない。「そんなに甘いことではないと思っていました。これまでの自分を完全に忘れられてもいい。とにかく本質を見失わず、地道に臥薪嘗胆という感じです」と心情を吐露した中野。そこからは俳優業1本で、真摯に芝居に向き合った。思いはただ一つ「自分が出演している作品を観てほしい」。
公開が控える主演映画『ママは日本へ嫁に行っちゃダメと言うけれど。』で演じた“モギさん”は、言葉は少なく過剰な演出はないが、中野の演技の“間”から、人物の背景が想像できる味わい深いキャラクターになっている。「日本人男性が、台湾人女性と国際恋愛し、恋に発展していく話。とてもオーソドックスで普遍的な恋愛ストーリーですが、心情をミニマムで表現させてもらえたのは楽しかったです」と語った中野。
バラエティーで見せたキャラクターは中野裕太という人物のレイヤーの一つだが、俳優・中野裕太には、いくつも重なった自身の経験がにじみ出てくるような人物、彼の言葉を借りれば「複数のレイヤーがどれだけ繊細に焼き付けられるか」が要求される。「キャラクターをとことん生きていきたい」という中野の言葉には、俳優という仕事への並々ならぬ決意が感じられると共に、彼の演技を見ていると、ずっと追いかけて見たいと思わせてくれる力強さがある。(取材・文・写真:磯部正和)
映画『ママは日本へ嫁に行っちゃダメと言うけれど。』は5月27日より新宿シネマカリテ、ユナイテッド・シネマ アクアシティお台場ほか全国順次公開