黒柳徹子も後輩!お茶の水博士の声の人が知るテレビ草創期
テレビ草創期の伝説的アニメ「鉄腕アトム」でお茶の水博士の声を担当し、このほど「昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち」(駒草出版)を出版した声優の勝田久がインタビューに応じ、70年にもおよぶ自らの声優人生を振り返るとともに、「後輩」黒柳徹子や、手塚治虫さんとの思い出について語った。
2日に90歳の誕生日を迎えた勝田は、声優界で最古参級で、まさに業界の生き字引ともいえる存在だ。「『あなたにとって声優とはなんですか』と問われたら、僕の一生でしたと答えよう」と同書に書いてあるが、その始まりは幼少期の体験だった。
「子どもの頃から映画・演劇が好きでした。兄と2人、50銭硬貨を握りしめて浅草六区に映画を観に行ったものです。無声映画の時代で、活弁士が映像に合わせてストーリーやセリフを語る。夢中になって聞いていました。戦後すべてをリセットされた時、これからは自分の好きなことをやろうと思い、芝居の道を選んだんです」と一生を捧げる仕事を選んだ理由を明かす。
映画・演劇などの専科があった学校「鎌倉アカデミア」の演劇科、その後、東宝での俳優、NHK放送劇団の専属ナレーター、ラジオ俳優を経てフリーの声優として活躍した。「少年探偵団」などのラジオドラマや、数々のアニメ、映画アテレコの声優として人気を博した。
NHK放送劇団ではあの黒柳徹子の先輩だった。「天真爛漫で常に元気いっぱい。声が人より何倍も大きくてね。ガヤ(人が大勢いて騒がしい場面)の収録では、(声が大きいため)どんどん後ろに下げられて、最後は廊下に出てお休みくださいって(笑)。あと、お嬢さんなので先輩に『お茶をいれて』と頼まれても、自分でいれる発想がなくて食堂に電話して出前を頼もうとしたり。憎めない、お茶目な子でしたね」と述懐する。
代表作となった手塚さん原作のアニメ「鉄腕アトム」(1963年から1966年にフジテレビ系列で放送)のお茶の水博士のアテレコについて、「第1話の収録のことはよく覚えています。元日放送なので大みそかに収録でしたが、手塚さんが途中で何度も台本を書き直すから2本録りで20時間かかった」と勝田。手塚さんとの思い出では「印象に残っているのは、お茶の水博士のクシャミを褒められたこと。実は、手塚さんがとても特徴的で大きなクシャミをするので真似したのですが、それがお気に召したらしく。クシャミ単体を褒められるなんて、びっくりしました」。
1982年には日本初の声優学校となる「勝田声優学院」を開校した。「当時、声優の養成所はどこにもなく、このままではアテレコ界のためにならないと思い、開校に踏み切りました。基礎となる発声、発音、滑舌を徹底的に教えました」。テクニックはもちろん、声優としての心構えも伝授した。「人間観察をすること。人物を創造する仕事なので、たくさんの人をよく観察し、必要な時に必要な要素を引き出せるように」と教えたそうだ。
折々で多くの声優と関わってきた勝田の著書には青野武、富山敬、野沢那智、山田康雄、広川太一郎、大山のぶ代、小原乃梨子、肝付兼太、向井真理子ら総勢32人もの名声優たちが登場する。1981年から1984年にアニメ月刊誌に連載した文章を加筆修正したもので、すでに鬼籍に入った人も多いが、各人の声優業に至る幼少期の風景から下積み時代の苦労などが収められている。
「死ぬ前にまとめておかないといけないと。仲間も一生懸命仕事をしてくれて助けてくれたんだから、自分史も入れ、仲間の仕事も書かなきゃと思い、出版しました」と話す勝田は90歳にしてますます意気軒昂(いきけんこう)としており、「まだまだ原稿はたくさんあるんですよ。第2弾も書けますよ」と嬉しそうに付け加えていた。(取材・文:岩崎郁子)
「昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち」は駒草出版より発売中