松本潤が『ナラタージュ』で見せる官能シーン
『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004)、『クローズド・ノート』(2007)など恋愛映画の名手として知られる行定勲監督が、嵐・松本潤を主演、有村架純をヒロインに迎えた新作『ナラタージュ』(10月7日公開)を完成。高校時代に教師と生徒として知り合い、時を経て再会した葉山(松本)と大学生の泉(有村)が許されぬ恋に落ちていくさまを描いた本作は、近年のメジャー系恋愛映画には珍しくセリフは控えめで、ラブシーンも多くはない。行定監督がその演出意図を明かした。
前提として、「今回は泉にとって“葉山先生がわからない”ことが重要だった」という監督。そんな小説の特徴に加え、昨今の邦画が饒舌な傾向にあることを指摘しながら「名ゼリフって時に邪魔になるもの。ヘタすると作り手が自分に酔っているように見えてしまう。話がうまい、言葉にレトリックがあるキャラクターには誠実さを感じないと思うので、そうはしたくなかった」と作り物にしないスタンスを推し進めることで、必然的にセリフが抑えめになった経緯を振り返る。
予告編に収められた、浴室で泉と葉山が激しく揉み合うラブシーンも大いに話題になったが、監督にとって最も重要になったのが、酔って運転できなくなった葉山を泉が迎えに行った際の車中シーンで、「衣装合わせもあのシーンで2人がどんな服を着ているのか考えるところから始まっていて、この映画の全てが集約されているようにしたかった」という。「車中で葉山はメガネをはずしていて、そのぶん視界はボケてはいるんだけど泉のことをちゃんと凝視している。泉が葉山のメガネを外すクライマックスのラブシーンしかり、松本君には目線の強さを40%にしてほしいと言いました」と続け、メガネをかける外すの行為や目線の強弱で色香の表現に挑んだことを説明。
なぜ目線にこだわるのかとの問いには、「その人が好きかどうかって、最初は目で追うところから始まるものだと思う。目が合ったということは、それまでにも見ていたということで、ふとした結びつきが永遠に発展することもあるわけで」と恋愛感情の始まりについて持論を展開。劇中、舞台の上手と下手に立つ葉山と泉の目線が合うシーンを例に挙げながら、「ヘタすると偏執的に見えたりストーカーのように見えてしまう。だから普通に会話していて、その人のことをチラチラ見ているうちに目が合う、というようなギリギリの感じを目指しました」と続けた。
「目線の演技」の中でもう一つの特筆すべきシーンが、葉山が顧問を務める演劇部の生徒が病院に運び込まれ、部員たちが病院に集合する場面。ともに外部から演劇部に特別参加し、やがて恋人同士になった泉と小野(坂口健太郎)も駆けつけるが、小野は泉と特別な関係にあった葉山を牽制している。同時に葉山の泉への思いがあふれ出す場面でもあり、監督は「小野が泉を連れ去ろうとする際、泉が一瞬振り返ったときに葉山と目が合う。あのシーンで、松本君に“一番ものを言う目にしてほしい”と伝えました」と語る通り、葉山の昂る感情がほとばしる切ないシーンが生まれた。
そんな監督の細やかな演出意図を汲みながら、生涯に一度の恋に苦悩し、時に弱さや狡さも見せる等身大のキャラクターに成り切った松本の熟した熱演に魅了される一作となっている。(取材・文:編集部 石井百合子)