井浦新、恩師・若松孝二監督を演じることは「最初は嫌だった」
2012年に亡くなった若松孝二監督率いる若松プロに集まった若者たちを通じて熱狂の1960年代、1970年代を描き出した映画『止められるか、俺たちを』が26日、大分県由布市湯布院公民館で開催された第43回湯布院映画祭でプレミア上映された。若松監督を演じた井浦新、足立正生監督を演じた山本浩司、そして若松プロに所属していた経験がある白石和彌監督がゲストに来場し、恩師を題材とした作品に対するプレッシャーを明かした。
反社会的で過激なピンク映画の傑作を数多く残し、『水のないプール』『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』『キャタピラー』といった一般映画でも話題になった故・若松孝二監督。若松プロダクションの映画製作再始動第一弾として制作された本作は、1969年に、21歳で若松プロに助監督として飛び込んだ故・吉積めぐみさんの目を通して、若松監督とともに映画作りに駆け抜けた若者たちの姿を描き出す群像劇。10月13日の劇場公開に先駆けて、若松監督が愛した湯布院映画祭でプレミア上映されることとなった。
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』以降の若松作品に欠かせない存在となった井浦は、若松監督の話し方、雰囲気などの特徴をしっかりとつかみ、熱演している。「若松プロが再始動すると聞いて、白石監督が、『若松監督役は井浦新しか考えていない』と言っていたと聞いたけど、正直最初は嫌でした。育ててくれた恩師の顔に泥を塗るような行為になるんじゃないか。恩をあだで返すことになるんじゃないかと思ったから」と正直な思いを吐露した井浦は、「でも白石監督が走り始めた時に、他の役者が演じたものは観られなくなるだろうし。こうなったら僕らがあっちに行った時に、若松監督から怒られるネタを作ろうと。そういう思いでやりました」と決意を語った。
作品は、若松プロに集まった若者たちの群像劇であると同時に、60年代、70年代の若松プロをめぐるクロニクル(年代記)という側面もある。そのことについて白石監督は「やはり映画のなりたちとして、(若松監督の遺作となった)『千年の愉楽』を公開する前に亡くなったということがあって。突然に断ち切られ、中途半端に終わってしまったという思いがあったので。ずっと若松プロで何かできないかと思っていた」と説明すると、さらに「若松監督がやりたいと言っていた東電の企画をやりませんか、とか言われたりもしましたけど、それも違うなと思って。だから若松プロの再出発はお祭りにしないといけない。若松プロのクロニクルも描かないといけないと思って欲張った部分もあります」とその思いを語った。
この日は井浦が登壇するということで、女性客も多数来場、立ち見も出る大盛況となった。「若松監督がかわいいと思ったんですが、実際はあんなにかわいかったんですか?」といった質問が飛び出すと、白石監督が「全員が口をそろえてかわいいと言いますよね。怒ることもありましたけど、根に持つことはなかった。何があっても結局お金の話になっちゃうところも含めて、相対的にかわいかったですね」とコメント。井浦も「特にかわいく演じようと思ったわけではないですが、そういう風に出てくるのは、自分も含めて晩年の僕らが見て感じた、人に対して残酷だけど、反面愛情が深い部分とかそういう部分が出たのかもしれない。それは狙ってやったわけではないけど、自然とキュートな部分が出たのかもしれないですね」と続けた。
そんな突如沸き起こった「若松監督はかわいい」談義に苦笑いしていたのは、本作でも自身の若き日が描かれるなど、当時の若松プロを知る脚本家の荒井晴彦だ。「今の子はすぐにかわいいとか言うけど、蹴られるよ。若松さんはインテリをいじめるのが大好きだったから。本当に怖かったよ」と会場をたしなめて、会場を沸かせた。(取材・文:壬生智裕)