樹木さん娘・内田也哉子、両親の関係に葛藤も裕也のラブレターでわだかまり消滅
9月15日に75歳で逝去した樹木希林さんの葬儀・告別式が30日、東京都港区の光林寺本堂にて営まれ、夫・内田裕也から樹木さんに送られた手紙があったことを、長女・内田也哉子が明かした。
告別式の喪主は夫・裕也が務めたが、体調面のことなどもあり、最後のあいさつは也哉子が務めた。そのあいさつの中で、離れていても夫婦生活を続ける両親の姿というのは、娘にとっても不可解だった、ということをせつせつと語った也哉子は「なぜそんな関係を続けるのかと母を問い詰めたら、平然と『だってお父さんにはひとかけらの純なものがあるから』と言ってわたしを黙らせるのです。人それぞれに選択があるとはわかりつつも、やはりわたしの中では永遠にわかり合えないメッセージでした」と述懐。
そして数日前、母の書庫で探し物をしていて小さなアルバムを見つけたという。アルバムの中には樹木さんの友人や、也哉子が子どもの頃に送った手紙が丁寧に整理されており、その中の1ページにロンドンのホテルの色あせた便せんがあり、目にとまった。「それは母がまだ悠木千帆と名乗っていた頃に父から届いたエアメールでした」。
手紙には「今度は千帆と一緒に行きたいです。結婚1周年は、帰ってから二人っきりで。この1年、いろいろと迷惑をかけて反省しています。裕也に経済力があれば、もっとトラブルも少なくなるでしょう。俺の夢とギャンブルで、高価な代償を払わせていることはよく自覚しています。突き詰めて考えると、自分自身の矛盾に大きくぶつかるのです。ロックをビジネスとして考えないといけない時に来たのでしょうか。早くジレンマの回答が得られるように祈ってください。落ち着きとずるさの共存にならないように、このやろ、てめえ、でも心から愛しています。1974年10月19日ロンドンにて。裕也」と書かれていたという。
手紙を発見し「今まで想像すらしなかった。勝手だけど、父から母への、感謝と親密な思いの詰まった手紙にわたしはしばし絶句してしまいました」と語る也哉子は、「普段は手に負えない父の、混沌と苦悩と純粋さが妙に腑に落ち、母が誰にも見せることなく、それを大切に自分の本棚にしまってあったことに、納得してしまいました。そして長年、わたしの心のどこかで許しがたかった、父と母のありかたへのわだかまりが、スーッととけていくのを感じたのです」と付け加えた。
さらに「わたしが唯一親孝行が出来たことといえば、本木(雅弘)さんと結婚したことかもしれません」と続け、「時には本気で母の悪いところをダメ出しし、意を決して、暴れる父を殴ってくれ、そしてわたし以上に両親を面白がり、大切にしてくれました。何でもあけすけな母と対照的に、すこし体裁の過ぎる夫ですが、家長不在だった内田家に、静かにずしりとした存在はいまだにシュールすぎて、少し感動的でさえあります」とコメント。「けれどもこの絶妙のバランスが欠けた今、新たな内田家の均衡を模索する時が来てしまいました。おじけづいているわたしは、いつか言われた母の言葉を必死で記憶からたぐりよせます。『おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい』。まだたくさんすべきことがありますが、ひとまずあせらず、家族それぞれの日々を大切に歩めたらと願っております」と締めくくり、参列者に感謝の言葉を述べた。喪主の裕也は、娘の言葉を静かに聞いていたという。(取材・文:壬生智裕)